戦後80年、戦争を実際に体験した世代が少なくなる中で、いかに戦争の記憶を継承していけば良いのか。そして戦争を体験したことがない人びとは、いかに戦争の記憶を語り得るのか――。
今年7月に『南方抑留:日本軍兵士、もう一つの悲劇』を刊行した林英一さん(二松学舎大学准教授)と、『日本軍兵士』『続・日本軍兵士』がベストセラーになっている吉田裕さん(一橋大学名誉教授)が、戦争の記憶の継承について語り合った。【構成:梶原麻衣子】
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減り続ける研究者
吉田 今年は戦後80年。これから戦後100年やその先へどのように戦争の記憶を継承し、研究を積み重ねていくか。それを考えたときに一番大きな問題は、研究者の減少です。博士課程に進む大学院生が激減していて、研究者をかろうじて再生産できているのは東京大学くらいではないでしょうか。学生が博士課程に進まないのは、その後の生活や待遇が不安定だからでしょうね。
林 私の周りでも大学院に進む人は減っています。最近は留学生が目立ちますね。
吉田 僕らが大学院生の頃にはセーフティネットがそれなりにあって、僕も教員免許を持っているし、自治体史の編纂などで食べていた人達もいます。
資料の問題もありますよね。そもそも日本は終戦直後に多くの公文書を焼いてしまったうえに、情報公開も進んでいません。防衛省の防衛研究所戦史研究センター史料室は現在は市ヶ谷にありますが、僕は目黒にあった頃からよく通っていました。ただ資料カードの番号が飛んでいて、見せたくない資料は存在すら隠していた。2002年になって情報公開法が制定されたのちに、朝日新聞で情報公開をテーマに取材していた中島昭夫記者が訴訟を起こして、ようやく資料カードの全容がわかったんです。
そんな状況だったので、かつては東京大学の伊藤隆さんのようにエゴ・ドキュメント、つまり日記をもとに政治史を再現するという方向へ行かざるを得なかった。一方、左派はマルクス主義の影響が強く、経済史的な分析にますます偏った面があります。
林 政治史を中心に始まったオーラル・ヒストリーが、だんだんと社会史的な視点を持つようになり、戦後は庶民の目線で植民地批判をするなどの文脈も出てきました。聞き取りも文字に起こせば文献資料と同じで、史料批判することで価値が高まります。資料にあたって吟味するというのが歴史学者にとっては基本です。
ある朝、一番乗りだと思って昭和館へ行ったところ、すでに先客がいて、誰かなと思ったら吉田先生でした。図書室で真摯に資料と向き合うお姿を見て、「学者の鑑」とはこういう姿勢なんだろうと思ったんです。
未整理の資料をどうするか
吉田 僕や黒沢文貴さん、そして東大大学院で軍隊教育学を研究していた遠藤芳信さんが市ヶ谷の駐屯地内にあった戦史室に通っていた最初の世代ではないですかね。それこそ資料も整理されていなくて、まさに闇雲に資料請求してました。
今はネットで調べられるものも多いけれど、一方で、国会図書館の資料検索や論文検索のサイニィ(CiNii)などネットで調べられるようなアーカイブに登録されていない資料は、分散しているので探し当てるのに苦労します。例えば陸海軍で経理将校をしていた人たちが読む『主計會報告』という雑誌があるのですが、これがまったく見つからない。ところがある時、読者から「千葉商科大学にありますよ」と言われて図書館のデータベースで調べてみたら、確かにあるんです。
林 資料がきちんと整理されていない、登録・管理されていないということは他でもあります。私は靖国神社内にある靖国偕行文庫にもよく行くのですが、やはり資料があまり整理されていません。
吉田 一度だけ、書庫の中に入れてもらったことがあるのですが、未整理の資料が山積みになっていました。お金もないし人手もないので、整理が終わらないのでしょう。一度、軍事史をやっている大学院生なら喜んで整理するから、誰か紹介しましょうかと室長さんに申し出たことがありますが、実現しませんでした。以前は週5日開館していたのが週3日になりました。
林 書庫から出してもらえる資料も一度に3点に限られています。
吉田 靖国神社自体の予算が最盛期の半分になったと言われたのが、10年ほど前。今はもっときついでしょう。靖国に寄付していた大きな旧軍人団体が解散したり、戦争体験者である財界人からの寄付も減っています。
林 戦争体験の継承や研究に関してはまだまだやるべきことがある一方で、研究体制や人材が細りつつあるのは残念なことです。
なぜ『日本軍兵士』がベストセラーになったのか
林 現在、ロシアがウクライナに侵攻し、ウクライナ兵もロシア兵も多数が命を落とし、さらにロシアに加勢するために動員された北朝鮮兵も命を落としています。さらに中東ではイスラエルとガザの戦闘で多くの死者が出ています。
一方、日本では戦争こそ起きていませんが、戦後の社会モデルが崩壊しかかっており、多くの労働者が低賃金や過重労働に苦しんでいます。
吉田先生の『日本軍兵士』『続・日本軍兵士』がベストセラーになったのも、当時の日本軍兵士の置かれた境遇と、現在の読者が置かれている不穏な社会情勢の間に、何か重なるものを感じ取っている読者が多いからではないでしょうか。
吉田 『日本軍兵士』を出版して初めて、Amazonのカスタマーレビューを見るようになったのですが、感想の中には「日本軍が抱えていた問題が解決されないまま、今の日本の組織に受け継がれてしまっているように思った」と、自分の問題としてとらえているものもありました。
とくに自衛隊の人はそう感じるようで、旧陸軍の団体と陸上自衛隊のOB団体が合流して陸修偕行社という会ができましたが、ここが出している会報『偕行』に『日本軍兵士』の書評が掲載されたことがあります。評者は退職した幹部自衛官でしたが、「この本には自分たちが知らないことが書いてある。自分たちが知らないということは、旧軍が抱えていた課題を克服するための取り組みを自衛隊がまだしていないということだ」という主旨でした。その具体例として、歯の治療、復員してきた兵士のその後の健康チェック、休暇やメンタルケアの問題などが挙げられていて、そんな風に読んでもらえるのはありがたいことだなと思いましたね。
林先生の『南方抑留』も、ぜひそんな風に読んでもらえると良いですね。ところで、今後はどのような研究に取り組みたいと考えていますか。
林 一つは、二松学舎大学の学生とやっている九段キャンパス周辺でのフィールドワークの記録をまとめたいと思っています。九段には靖国神社、旧近衛師団司令部庁舎、旧軍人会館、千鳥ヶ淵戦没者墓苑、昭和館、しょうけい館など、第二次世界大戦の記憶を継承する施設があり、近現代史について学ぶ格好の場となっています。より本格的な研究という点では、『南方抑留』のテーマにも関連しますが、残留作業隊のことをもう少し深く調べてみたいなと。
さらに言えば、戦時中には、200万人もの日本人が東南アジアに住んでおり、これは後にも先にもこの時だけです。この経験が戦争の記憶としてどのように残っていくのか。これからも日本・東南アジア関係史を探求していきたいと思っています。
「語り部」が戦争を語り継ぐ難しさ
吉田 林先生は戦争体験の継承を担う語り部の育成事業などにも詳しいですよね。
林 戦争の記録や国民生活に関する資料を保存している昭和館では、厚労省からの働きかけによって、2016年から2018年までの3年間に約100人の語り部を育成しました。戦傷病者の資料を展示するしょうけい館でも同様の事業を行っていて、事業が終了した現在は、研修を終えた「語り部」による定期講話会や語り部の学校・団体への派遣を行っています。そうした「語り部」は皆さん真剣に勉強されて問題意識もお持ちですし、若い方が多いので学生など聞く側も質問しやすいというメリットもあります。
ただ、やはり語り部が「戦争体験者本人ではない」ことで、なかなか埋めがたいギャップもあります。例えば1972年にグアム島のジャングルで発見された残留日本兵の横井庄一さんの帰国後の講演会では、ご本人が出てくるだけでお年寄りたちが泣きじゃくっていたそうです。戦争で亡くなった息子を思い浮かべたからでしょう。また、今年私が参加した戦没者遺児の講話会でも、84歳の遺児の言葉にうっすら涙ぐむご遺族がいらっしゃいました。
こうしたエピソードが示唆するように、語り手も聞き手も戦争の時代を生きて記憶を共有している場合は、語り手が多くを語らずとも戦争について思いを馳せ、共感することが可能でした。しかし、若い語り部の場合はそういうことはないので、何かしらの工夫が必要になるだろうと感じています。
吉田 私が館長を務める東京大空襲・戦災資料センターでも、第1期生の語り部が3人育っていますが、やはりかなり勉強してもらわなければなりません。戦争経験者からつらい体験を思い出して話してもらわなければなりませんが、そのための信頼関係を構築するのも手間暇がかかります。そこまでしても、ともすると相手の言うことをそのまま暗記して話すだけになってしまい、戦争体験の継承と言っても、実際はなかなか難しいものがあります。
林 神奈川県のように、映像や音声を含む戦争体験者のデータを収集してAIに読み込ませ、画面上に再現した「戦争体験者」と対話できるようなシステムを構築したところもあります。しかし国・自治体間で継承のノウハウが共有されておらず、各々が独自にできることをやっているというのが現状です。
吉田 追悼式典なども人を集めるのに苦労していて、戦死者の遺族も子供から孫、ひ孫から玄孫まで参列するようになっています。戦後50年を過ぎたあたりから始まっていることですが、直の遺族がいなくなったことで、式典自体を取りやめている自治体や団体もあると聞きます。
林 戦後80年を迎えて、これまでとは発想をガラッと変えるような追悼式典や戦争経験の継承のあり方を考えなければならない時期に来ているのかもしれません。例えば東京都は今年初めて都と遺族会主催の戦没者追悼式に遺族以外の中高生を招待し、朗読会や遺品展示室見学ツアーと組み合わせた企画を行うそうです。見学ツアーでは解説員と大学生のボランティアが協働することになっていて、私のゼミ生も関わっています。私自身、研究はもちろんですが、戦争の語り継ぎについてもいろいろと考えていきたいと思います。
※この対談は、『南方抑留:日本軍兵士、もう一つの悲劇』(林英一著、新潮選書)刊行を機に行われたものです。
- ◎吉田裕(よしだ・ゆたか)
1954(昭和29)年生まれ。東京教育大学文学部卒。一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。一橋大学社会学部助手、講師、助教授、教授を経て、一橋大学大学院社会学研究科教授。現在は一橋大学名誉教授、東京大空襲・戦災資料センター館長。専攻は日本近現代軍事史、日本近現代政治史。著書に『昭和天皇の終戦史』(岩波新書)、『日本人の戦争観』(岩波現代文庫)、『アジア・太平洋戦争』(岩波新書)、『現代歴史学と軍事史研究』(校倉書房)。『日本軍兵士:アジア・太平洋戦争の現実』(中公新書)で第30回アジア・太平洋賞特別賞、新書大賞を受賞。2025年、『続・日本軍兵士:帝国陸海軍の現実』(中公新書)を刊行。
- ◎林英一(はやし・えいいち)
1984年、三重県生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒。慶應義塾大学大学院経済学研究科後期博士課程単位取得退学。一橋大学博士(社会学)。現在、二松学舎大学文学部歴史文化学科准教授。インドネシア残留日本兵の研究で日本学術振興会育志賞受賞。著書に『残留日本兵の真実』『東部ジャワの日本人部隊』(ともに作品社)、『皇軍兵士とインドネシア独立戦争』(吉川弘文館)、『残留日本兵』(中公新書)、『戦犯の孫』(新潮新書)、『残留兵士の群像』(新曜社)など。2025年、『南方抑留:日本軍兵士、もう一つの悲劇』(新潮選書)を刊行。
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