司法(最高裁)はこれまで慎重に避けてきた行政・立法との衝突を覚悟で、違憲審査権という伝家の宝刀を抜くだろうか[大阪高裁における同性婚訴訟の判決後、『違憲』と書かれた紙を掲げる原告と支援者ら=2025年3月25日](C)時事

まるで鈍行列車を追い抜く急行列車

 オトコ同士の結婚。または、オンナ同士の結婚。いわゆる同性婚を認めないのは、違憲である――。

 そんな最高裁判決が出たのは、今から10年前、2015年のこと。といっても、海の向こうの話、米連邦最高裁の話である。

 この判決が話題になったとき、私は日本の元最高裁判事が、こう首をかしげたのを思いだした。

「夫婦別姓はもうすぐだろうけど、日本では同性婚は、まだ一足早いかな」

 だろうな。私の感想も、同じだった。

 無理もない。たとえば、これだけ男女平等がうたわれるご時世でありながら、日本の「夫婦別姓」制度は、もう30年も動いていない。

 もはや結婚を理由に、男女が名字をそろえることを法律で義務づけた国は、世界でも唯一、日本だけといわれる。

 ザッツ、ガラパゴス。

「姓」だけでもこのありさまなのに、ましてや「性」というナイーブな問題である。お堅い日本の司法が同性婚を認めることなど、はるか遠い夢物語に思えたのだ。

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