まもなく大法廷回付で憲法判断か 司法が「夫婦別姓」より先に「同性婚」を認める理由

執筆者:川名壮志 2025年9月1日
司法(最高裁)はこれまで慎重に避けてきた行政・立法との衝突を覚悟で、違憲審査権という伝家の宝刀を抜くだろうか[大阪高裁における同性婚訴訟の判決後、『違憲』と書かれた紙を掲げる原告と支援者ら=2025年3月25日](C)時事
同性婚をめぐる訴訟は、近く最高裁の大法廷に回付される見込みだ。婚姻に関する訴訟の中では、世界中で長らく認められてこなかった「同性婚」より、日本だけが例外的に認めていない「夫婦別姓」のほうが、先に結論が出るものとかつて思われていた。その順番が入れ替わった背景には「合理」に徹する裁判官の論理がある。ただし、司法が積極主義を貫くことで、これまで慎重に避けてきた立法・行政との正面衝突に発展する可能性もある。

まるで鈍行列車を追い抜く急行列車

 オトコ同士の結婚。または、オンナ同士の結婚。いわゆる同性婚を認めないのは、違憲である――。

 そんな最高裁判決が出たのは、今から10年前、2015年のこと。といっても、海の向こうの話、米連邦最高裁の話である。

 この判決が話題になったとき、私は日本の元最高裁判事が、こう首をかしげたのを思いだした。

「夫婦別姓はもうすぐだろうけど、日本では同性婚は、まだ一足早いかな」

 だろうな。私の感想も、同じだった。

 無理もない。たとえば、これだけ男女平等がうたわれるご時世でありながら、日本の「夫婦別姓」制度は、もう30年も動いていない。

 もはや結婚を理由に、男女が名字をそろえることを法律で義務づけた国は、世界でも唯一、日本だけといわれる。

 ザッツ、ガラパゴス。

「姓」だけでもこのありさまなのに、ましてや「性」というナイーブな問題である。お堅い日本の司法が同性婚を認めることなど、はるか遠い夢物語に思えたのだ。

 ところが、日本で同性婚を求める訴訟が提起されてからわずか6年余りで、司法の世界は急ピッチで動いている。同性婚を認める最高裁判断が出るかもしれない、というステージにまで来ているのだ。夫婦別姓と同性婚の訴訟のスピード感は、もはや段違い。あとから来たはずの急行(同性婚)が、各駅停車の鈍行(夫婦別姓)を追い抜く構図になっているのだ。

 ここ1年半で、札幌、東京、大阪、名古屋、福岡と訴訟を審理したすべての高裁が、同性婚を認めないのは「違憲」と判断。これを受けて、憲法の番人である最高裁は、この訴訟を大法廷回付する見通しだ。大法廷回付とは、最高裁の裁判官15人全員で審理する手続きに移行することで、年に1度あるかないかのレアケースである。

 近く最高裁は違憲審査権にもとづいて、今の法制が同性婚を認めないのは、違憲か合憲か、憲法判断をすることになる。

世界中で、ずっと認められなかった同性婚

 最高裁は近年、多数決原理では報われることのない社会的マイノリティーの権利を認める方向に舵を切っている。立法や行政に切り捨てられる少数者の権利をすくい上げることにこそ、司法の役割があり、それが民主主義社会を根底から支える――。そんなコンセプトの下、司法消極主義といわれて久しい日本でも、マイノリティーの権利保障については司法積極主義のスタンスをみせているわけだ。

 そして、今やその本丸が、同性婚訴訟だ。

 ただ、こうした動きは、司法だけの世界にとどまるものではない。国会、内閣を巻きこんで、新たな権力の衝突を生み出だす可能性も秘めているから、なかなか厄介なのだ。

 同性婚はまだ遠い先の話――。

 元最高裁判事がそう見立てたのには、それなりのワケがある。同性婚を認めないのが、長らく世界の趨勢だったからだ。

 夫婦別姓については、結婚と姓(名字)の統一をワンセットにして法律で規定している日本は時代遅れといわれてもしかたがない。ところが同性婚となると、事情はガラリと変わる。同性同士の結婚が認められたのは、世界でも最近のこと。21世紀に入ってからなのだ。

 法治国家を旗印にした欧米諸国の裏側には、同性愛者への過酷な迫害の歴史がある。キリスト教を国教とした古代ローマ帝国では、同性愛者が火あぶりにされたし、その後の教会法でも同性愛は禁じられ、同性愛者というだけで長く虐げられてきた。

 同性愛は、死罪を含む処罰の対象であり、禁忌(タブー)でもあった。宗教観や信仰とも結びつく同性婚問題は、合理を旨とする司法の世界にも影響を与えていた。

 たとえば、アメリカ。1970年代初頭、同性婚を認めないのは違憲だと訴えた米ミネソタ州の男性カップルの訴訟では、ミネソタ州の裁判所が「男女の結びつきとしての婚姻制度は(旧約聖書の)創世記と同じくらい古い」として、その主張を退けた。そして連邦最高裁も、この判断を追認した。

 そもそも同性愛は、精神疾患の一種、治療が必要な病気だと考えられていた。それが1970年代ごろから見方が変わりはじめた。1993年にWHO(世界保健機関)が同性愛を治療の対象から外したことから、風向きが変わるのである。

 2001年にオランダが合法化したのを皮切りに、ベルギー、スペイン、カナダ、南アフリカ、ノルウェー、スウェーデン、ポルトガル、アイスランド――と次々と同性婚が認められた。今や同性婚OKの国は、40カ国ほどに及ぶ。

 そして冒頭で書いた通り、アメリカも2015年、同性婚を米連邦最高裁が認めている(ただ判決は5対4と多数決ではきわめて僅差。しかも、最高裁長官は同性婚に反対だった)。

 こうした流れのなかで、日本でも2019年、同性婚の合法化を求めて全国で一斉提訴がはじまったのである。

すべての高裁が「違憲」判決を下した重み

 じっさいに裁判がはじまってみると、元裁判官や私(元最高裁担当記者)の予想はきれいに裏切られた。同性婚は認められるべきか。この問いにたいして、司法はかなりはっきりと「イエス」の判断を示している。

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カテゴリ: 政治 社会
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執筆者プロフィール
川名壮志(かわなそうじ) 1975(昭和50)年、長野県生れ。2001(平成13)年、早稲田大学卒業後、毎日新聞社に入社。初任地の長崎県佐世保支局で小六女児同級生殺害事件に遭遇する。被害者の父親は直属の上司である同支局長だった。後年事件の取材を重ね『謝るなら、いつでもおいで』『僕とぼく』などを記す。他の著書に『密着 最高裁のしごと』『記者がひもとく「少年」事件史』がある。
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