プーチンはなぜウクライナに侵攻したのか――。西側世界から見れば「非合理」としか思えない暴挙だが、東京大学教授の池田嘉郎さんの新刊『悪党たちのソ連帝国』を読むと、ソ連時代から引き継がれてきたロシア特有の「統治の鉄則」が、ウクライナ侵攻の背景にあることが垣間見える。冷戦史研究の第一人者・青野利彦さんが同書を読み解く。
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ソ連とロシアの「連続性」をあぶり出す
40歳以下の読者の多くにとって、ソ連は世界史の教科書やドキュメンタリーのなかだけに存在する国ではないか。ロシア革命によってソ連は、西欧や米国の自由主義・資本主義に対抗する社会主義国として誕生した。その後工業化に成功、第二次世界大戦では連合国がナチ・ドイツを破るうえで不可欠な役割を果たした。さらに戦後は社会主義陣営の盟主として、米国に唯一対抗可能な超大国として冷戦を戦った。このように20世紀史における巨大な存在だったにもかかわらず、冷戦終結後、ソ連に対する関心は大きく低下する。それは、資本主義に対する社会主義の劣位・敗北が明白になって冷戦が終わり、しかもソ連があっけなく崩壊したからであろう。
だが、近年、ロシアやソ連に対する関心は再び高まり、専門家による一般向けのロシア論やソ連史に関する書籍の出版も相次いでいる。その背景には、21世紀に入って徐々に力を盛り返したロシアが、米国中心の世界秩序に対抗する姿勢を見せ、2022年にウクライナに侵攻したことがある。また、自由主義や資本主義の限界が語られ、米国のバーニー・サンダースのような左派ポピュリストが台頭するなかで、2017年のロシア革命100周年を迎えたこともあるだろう。
こうした書籍群に新たに加わったのが本書である。その特徴は、「悪党」たるソ連の最高指導者たちに着目して「ソ連帝国」の歴史を捉え、その軌跡のなかに存在する「何らかの連続性」をあぶり出すことにある。
レーニンが築き、スターリンが拡大した「家族共同体」
誕生直後から、社会主義国家として欧米や日本の帝国主義を敵対視していたソ連が、なぜ帝国たり得るのか。著者によればソ連では、市民が法によって権力者を抑制する近代ヨーロッパ諸国とは異なり、統治者が「法の上」に立っていた。また他の帝国と同じく、ソ連は広大な版図を持ち、多様な住民集団を統治していた。これらの点から著者はソ連を「帝国」として捉えるのである。そして、このソ連帝国を率いた6人の最高指導者――レーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフ、アンドロポフ、ゴルバチョフ――は巨大な権力を行使し、ソ連社会を大きく変え、人々の生活や生死を左右した。彼らが行使した権力とその結果の大きさを表すため、著者は彼らを「悪党」と呼ぶのである。
ソ連帝国は、帝国の「創始者」レーニンがその基礎を形成した「家族共同体」であった。レーニンにとって理想的な人間関係とは、「集団的な一体性」がまずありきで、個人は「その有機的な一部」に過ぎなかった。この意味で「家族」として一体性を持つ共産党員が、マルクスの理念に沿った理想的な社会を形成するための中核となるとレーニンは考えていた。
レーニンが創始した「家族共同体」たるソ連帝国を発展させるため、彼の後継者たちは力を尽くした。帝国の「育成者」スターリンは、ソ連に社会主義国家としての実体を与えた。ロシア以外で革命の展望が途絶えるなか、「一国社会主義論」を唱えた彼は、工業化に基礎を置く社会主義という理想を追求した。1920年代後半からは強制的な穀物調達と農業集団化により、農民たちに多大な犠牲を強いつつ工業化を進展させ、1930年代半ばには「大テロル」と呼ばれる弾圧を行った。スターリンの時代に、レーニンが共産党員のみを想定していた「家族共同体」の構成員は、ソ連市民全体にまで拡大された。
「攪乱者」フルシチョフから、「破壊者」ゴルバチョフまで
スターリンが構築したこの「新しい秩序」を揺さぶったのが、「攪乱者」フルシチョフである。スターリンの行状を批判した「スターリン批判」はその最たるものであった。共産党とその指導者が「真理を体現」するというフィクションに正統性の根拠を持つ「家族共同体」に対して、大打撃を与えたからだ。また、農業生産と民生経済に資源を振り向けるため核軍事力を拡大し、瀬戸際外交を展開して対米緊張を高め、キューバ危機という未曾有の事態にソ連を直面させたのも彼であった。
こうした「独断専行」によって混乱を招いたフルシチョフを解任すべく動いたのがブレジネフである。彼の指導スタイルは前任者とは異なっていた。地方党組織の人事を安定化させてモスクワの党中央と地方の関係を改善し、人々の暮らしに配慮して経済改革や農政改革、福祉制度の充実にも努めた。自身の指導下の18年間をソ連「帝国史上最も平穏な時代」としたブレジネフは、ソ連をいわば成熟した帝国に仕上げた「大成者」であった。
82年に逝去したブレジネフの後を継いだのは、長らくKGB(国家保安委員会)議長を務めたアンドロポフである。スターリン批判が引き金となったハンガリー動乱を同国大使として経験した彼は、「社会主義の基礎を揺るがすことは絶対許すまい」と「固く決意」して職務に臨んだ。指導者となったアンドロポフは経済発展の「加速」を課題として掲げ、帝国の「矯正者」として党・国家・労働者など様々な場面での「規律強化」を進めていく。
書記長就任15ヶ月で死去したアンドロポフについて、多くの歴史書は簡単に触れるだけである。その彼に一章を割いたことは本書の大きな特徴だ。それは、ゴルバチョフを扱う章における、アンドロポフの後継者チェルネンコ(こちらも就任約一年で逝去した)の扱いからもうかがえる。ブレジネフ期ソ連の「成熟」とは、裏返せば、その「停滞」を意味していた。それを規律強化とゴルバチョフのような若手幹部の登用によって「矯正」しようとしたアンドロポフと、むしろ成熟した帝国の「保全者」たろうとしたチェルネンコの姿を通じて、著者は、帝国の端境期に置かれた悪党たちの葛藤を描こうとしたのではないか。
だが、「矯正」も「保全」も、帝国の再活性化には不十分であった。そこで抜本的な改革に取り組んだのがゴルバチョフである。彼のペレストロイカ(建て直し)が成功していれば、著者はゴルバチョフを「改革者」と呼んでいたかもしれない。しかし、共産党主導で「家族共同体」を再活性化する彼の試みは、様々な困難のみならず、意図せざる結果――ソ連帝国の崩壊――を招いた。それゆえゴルバチョフは「破壊者」と名付けられるしかなかった。
帝国の「再建者」となったプーチン
こうした叙述を通じて著者は、ソ連史に通底する「帝国」の特質を描くことに成功している。統治者が「法の上」に立っていたからこそ、悪党たちは強大な権利を行使でき、また、それゆえに、各指導者間の人的つながりが権力の継承や政策の実施過程を大きく左右した。例えば、スターリンはレーニンを、フルシチョフはスターリンを、ゴルバチョフはアンドロポフを庇護者とし、彼らに抜擢されることで権力を掌握したのである。
悪党たちは、レーニンが創始した「家族共同体としてのソ連帝国」を「受け継ぎ、発展させようと努めた」。この意味で「革命的熱情」に突き動かされていた彼らは、目的実現のために、巨大な暴力を行使し、時には多くの人命を犠牲にすることさえも厭わなかった。こうした行動様式は、「統治者を法の上に」、そして「家族共同体を個人の上に」置くソ連帝国の成り立ちと親和性を持っていた。また、「中央」の共産党や政府機構はどのように「地方」のそれを統制していくか、この問題に悪党たちが繰り返し直面したことを著者は描いている。広大な版図と多様な住民集団を含む「帝国」の統治者ゆえの課題であった。
さらに、こうした共通性がロシアの指導者にも引き継がれたことを著者は明らかにする。ソ連崩壊後のロシアには、法の支配に基づく「市民社会」が根付くかに見えた時期もあった。しかし、社会が混乱するなか、議会と対立したエリツィンは、再び「法の上」に立って議員や人々に砲撃を加え、帝国の「蘇生者」となる。そしてプーチンは、利益配分と暴力を用いて、自身とその取り巻きからなる「中央」と地方有力者の間に「庇護=服従関係」を構築して「家族共同体」を作り上げ、さらに共産主義イデオロギーではなく、ロシア・ナショナリズムを用いてより広範な市民をそこへ取り込んでいった。解体したソ連帝国を、ロシア「帝国」へと建て直したプーチンは、帝国の「再建者」なのである。
プーチンの思考を読み解く視座
このように本書は、「西側」諸国とは異なる統治原理に立ち、広大な版図と多様な集団を統治する「帝国」ソ連の歴史を跡づけ、その文脈から今のロシアと国際政治を捉える視座を与えてくれる。
本書の分析に基づけば、例えば、次のような議論が可能かもしれない。プーチンのロシアは、西側諸国が支持する「ルールに基づいた国際秩序」を、米国の利益を反映した、ロシアに不都合なものとして変更を迫っている。その一方で、米国主導で形成された秩序の「ルール」が、米国すら一定程度拘束してきたことは見逃しているように見える。それはロシアが、法を権力者による統治の道具と捉える視点から国際秩序を見ているからではないか。
また、膨大な資源と人命を賭してウクライナ攻撃を継続するロシアの姿は、海外の目には「非合理的」なものと映る。しかし、かつてソ連帝国の一部であったウクライナを「勢力圏」に再度組み込み、自身が再建した「家族共同体」をさらに発展させること、そのために個人である多くのロシア人を犠牲にすることは、プーチンからすれば「合理的」なのではないか。
上記は、本書の議論を敷衍した評者の仮説に過ぎず、検証が必要なものではある。それでも、こうした視座を得るためのヒントを、本書から数多く得られることが分かるだろう。ソ連のみならず、今のロシアの悪党たちの世界観、そして、その背後にあるものを理解するための手引きとして、ぜひ手に取って欲しい一冊である。
- ◎青野利彦(あおの・としひこ)
1973年、広島県生まれ。96年、一橋大学社会学部卒業。98年、一橋大学法学研究科修士課程修了。2007年、カリフォルニア大学サンタ・バーバラ校歴史学研究科博士課程修了、Ph.D.(歴史学)。一橋大学大学院法学研究科専任講師、同准教授などを経て19年より同教授。著書に『「危機の年」の冷戦と同盟』、『冷戦史を問いなおす』(共編著)、『国際政治史』(共著)、『現代アメリカ政治外交史』(共編著)、『冷戦史(上)(下)』などがある。
- ◎池田嘉郎(いけだ・よしろう)
1971 年、秋田県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士(文学)。専門は近現代ロシア史。主な著書に『革命ロシアの共和国とネイション』、『ロシア革命 破局の8か月』、『ロシアとは何ものか 過去が貫く現在』、『悪党たちのソ連帝国』、編著に『第一次世界大戦と帝国の遺産』、訳書にミヒャエル・シュテュルマー『プーチンと甦るロシア』、アンドレイ・プラトーノフ『幸福なモスクワ』などがある。
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