スギ花粉症は日本の「国民病」だ (C)正行 北島/stock.adobe.com

 スギ花粉の飛散が、収束に向かいつつある。症状に悩まされた人にとって、この時期は一息つけるタイミングだろう。だが同時に、次のシーズンに備える好機でもある。そこで注目したいのが、舌下免疫療法薬シダキュアだ。体質そのものに働きかける「根本治療」として期待されており、花粉の飛散が終わる初夏は、治療を始めるのに最も適した時期とされる。

 しかし現実には、希望しても治療を受けられないケースが少なくない。背景にあるのは、薬剤の供給不足である。近年の円安やインフレに加え、中東情勢の緊張、とりわけイランをめぐる不安定化は、供給制約を一層強めている。本稿では、この問題の構造を掘り下げて考えたい。

花粉症は心血管疾患の増加とも関連か

 まず、スギ花粉症の現状を押さえておきたい。スギ花粉症は、いまや「国民病」とも呼ばれ、日本では人口の約30~40%が罹患する。背景には、戦後の拡大造林政策がある。建材確保を目的にスギが広範に植林され、その成熟に伴って大量の花粉が飛散する環境が形成された。

 症状は、くしゃみ、鼻水、鼻づまりといった典型的なアレルギー症状にとどまらない。慢性的に続くことで睡眠の質を低下させ、日中の集中力や仕事の生産性にも影響を及ぼす。

 スギ花粉症の影響はこれだけにとどまらない。喘息やアトピー性皮膚炎などのアレルギー疾患を悪化させるほか、毎年炎症を繰り返すことが、他の疾患リスクに関与する可能性も指摘されている。

 ニューヨーク州立大学を中心とした研究チームが、2024年6月に『アレルギー・臨床免疫学:実践』誌に発表した研究では、スギ花粉症を含むアレルギー性鼻炎が急性心筋梗塞など心血管疾患の増加と関連することが示唆された。ただし因果関係は明確ではなく、今後の検証が必要である。とはいえ、スギ花粉症の本態が慢性炎症であることを踏まえれば、こうした全身への影響が生じうる点は見過ごせない。

 ほかにも見落とされがちなのが、スギ花粉症皮膚炎である。花粉が皮膚に付着することで生じる炎症で、特に外に露出する顔面に発赤やかゆみ、湿疹が出やすい。皮膚バリア機能が低下し、乾燥や刺激に弱くなるため、二次感染のリスクも高まる。また、掻破を繰り返すことで色素沈着や肌のくすみにつながる。毎年繰り返すことで慢性化し、肌質の低下など美容面でも無視できない問題となる。

 従来、スギ花粉症治療の中心は抗ヒスタミン薬や点鼻薬であった。しかし、これらはあくまで症状を抑える対症療法であり、体質そのものを変えるものではない。また、抗ヒスタミン薬は眠気を引き起こすことがあり、生活の質(QOL)を低下させる要因となる。実際に、服用中の注意力低下による自動車運転時の事故リスクが指摘されている。

 そこで注目されているのが、体質そのものに働きかける治療である。その代表がシダキュアだ。

国際協調の中で開発された治療薬

 シダキュアは、スギ花粉由来の成分を少量ずつ舌の下から取り込み、体を徐々に慣らしていく治療である。舌の下は、免疫に関わる細胞が集まる特殊な粘膜で、異物に過剰に反応しないよう調整する働きがある。この仕組みを利用することで、花粉に対する体の反応を和らげ、症状そのものを軽くしていく。

 スギは日本列島を中心に分布し、中国南部や台湾にも近縁種がみられるが、自然分布は東アジアにほぼ限られる。そのためスギ花粉症患者も、ほとんどが日本に集中している。日本の有病率は30~40%と高い一方、中国や台湾では局所的な報告にとどまり、欧米ではほぼみられない。

 こうした背景から、スギ花粉症治療は日本が主導していると思われがちだが、実態はやや異なる。シダキュアの原薬開発を担ったのは、スタラージェネス・グリア社である。同社はフランスのスタラージェネス社と米国グリア社が2015年に統合して誕生したアレルゲン免疫療法の専門企業で、本社をスイスに置き、世界45カ国で事業を展開している。

 シダキュアは、スタラージェネス・グリアが培ってきたアレルゲンの抽出・精製や製剤化といった技術を基盤に、鳥居薬品が日本で2010年代前半から開発を進め、2017年に承認、2018年に発売された。

 スギ花粉症は日本の「国民病」であり、シダキュアが承認され、実際に広く処方されているのも日本に限られる。しかし、その背景には、フランスと米国に源流を持ち、現在はスイスに本拠を置く製薬企業の技術がある。特定の国の疾患であっても、その解決は一国で完結するものではない。医療は本質的に国際協調の上に成り立っているのである。

効果は使用中止後も長時間持続

 では、シダキュアは実際にどのように投与されるのか。スギ花粉症の患者に、原因物質であるスギ花粉由来の成分を投与する以上、強いアレルギー反応を起こす可能性はゼロではない。そのため、治療は慎重に始める必要がある。

 具体的には、まず少量の2000単位から開始する。初回は医療機関内で服用し、アナフィラキシーなどの重い副作用が起きないかを確認する。問題がなければ、2000単位を1週間続け、その後、維持量である5000単位へ増量する。以後は毎日服用し、数年間継続することで、症状の軽減と効果の定着が期待される。

 シダキュアの効果は臨床試験で示されている。鳥居薬品が実施した第3相試験では、治療開始から2年目の花粉飛散ピーク時における「鼻症状薬物スコア」は、プラセボ群の5.7に対し、治療群では4.0まで低下し、有意な改善が確認された。この指標は、くしゃみや鼻水、鼻づまりの程度および薬の使用量を総合的に評価したもので、症状負担が明確に軽減したことを意味する。さらに、約4割の患者では症状がほとんど消失するレベルにまで改善がみられた。

 さらに重要なのは、効果が時間とともに強まる点である。2年、3年と継続することで改善率は高まり、3年間治療を続ければ、個人差はあるものの中止後も効果が長期間持続する。国内外の臨床研究では、3年間の治療後、くしゃみや鼻水、鼻づまりといった症状の軽減効果が、治療終了後も少なくとも2年間持続することが示されている。

 これは免疫応答そのものが変化した結果であり、単なる対症療法では得られない特徴である。本稿では詳述しないが、小児でも成人と同様の有効性が確認されている。 

 安全性はどうだろうか。副作用の多くは軽微である。治療開始当初は口腔内のかゆみや違和感がみられることがあるが、多くは数日から数週間で軽減・消失する。前述したが、アナフィラキシーなどの重篤な反応は理論上起こり得るものの、発生は極めて稀である。継続により多くの患者で忍容性は向上し、治療に順応していく。

 では、費用はどの程度か。シダキュアの薬価は、維持量である5000単位で約146円である。1日1回投与のため、薬剤費は月額で約4400円となる。自己負担は通常3割で、実際の支払いは月額約1300円が目安となる。さらに小児では自治体の医療費助成により、無料または低額となる場合もある。

 医療機関を受診する際には、初診料や再診料などの費用が別途必要となるが、全体としてみれば大きな負担となる治療ではない。

なぜ入手が難しいのか

 課題もある。それは入手の難しさである。治療を希望しても開始できないケースが少なくない。背景には需要の急増と供給不足がある。シダキュアは原料を天然のスギ花粉に依存しており、生産量に限界がある。このため2023年から出荷制限が始まり、現在も継続している。2025年10月以降、出荷量は段階的に増加しているものの、なお需要に追いついていない。私が診療するナビタスクリニック新宿や同川崎でも希望者は多いが、事務長は「現時点で確保できているのは10人分にとどまる」と説明している。現在、100人以上の患者がシダキュアの入荷待ちである。

 鳥居薬品には生産体制の一層の強化が求められるが、同社に一定の同情の余地があるのも事実である。背景には、薬価が低く設定されているという構造的な問題がある。

 シダキュアの薬価は前述の通りである。一方、欧米のイネ科花粉症に対する舌下免疫療法製剤、グラザックス(ALK社)やオラレア(スタラージェネス・グリア社)は、国によっても異なるが、月額100~300ドル(約1万6000~4万7000円)と高価格である。現在の日本の薬価水準では、販売量を増やしても利益が大きく伸びにくく、安定供給に必要な投資を回収しにくいという構造的な制約がある。

 さらに近年の円安やインフレは、原材料費や物流費を押し上げ、シダキュアの製造コストを上昇させている。もともと利幅が大きくない製品であるだけに、収益性は一段と厳しさを増している。製薬企業の立場から見れば、限られた経営資源をどこに配分するかは重要な判断となる。関係者の一人は、「鳥居薬品の経営を考えれば、シダキュアに大規模な投資を行うインセンティブは乏しい」と指摘する。供給体制の強化が進みにくいのは、こうした事情を踏まえれば、ある意味で合理的な帰結ともいえる。

「市場拡大再算定制度」という重荷

 さらに、厚生労働省の市場拡大再算定制度も無視できない。年間売上が1500億円以上で当初予想の1.3倍を超える薬剤は、薬価が最大半額まで引き下げられるなど、製薬企業にとっては厳しい制度である。シダキュアの場合、売上が150億円以上で当初予想の2倍を超えた場合には、この制度の対象となる。その際は最大15%の薬価引き下げが想定される。これでは企業側の収益確保は容易ではない。

 実際、鳥居薬品も過去の決算説明会でこうしたリスクに言及している。売上は2023年に約113億円、2024年に約128億円と拡大しており、関係者は薬価再算定を強く意識しているとみられる。

 2023年4月、政府は「花粉症に関する関係閣僚会議」を設置し、その翌月に鳥居薬品に対し供給量を今後5年間で現状の約4倍、100万人分規模へ拡大するよう要請した。それなら、シダキュアを市場拡大再算定制度から外せばいいのだが、現時点でそのような動きはない。

 以上、スギ花粉症治療薬シダキュアの現状を概観した。本来であれば、一人でも多くの患者に安定的に届けられるべき治療だが、現実はそう単純ではない。国内の薬事制度に加え、為替やインフレ、さらには国際情勢の不安定化が供給を制約している。

 この問題は、単なる一製品の不足にとどまらない。医療がいかに国際的な供給網と制度に依存しているかを示す象徴でもある。にもかかわらず、こうした構造的な課題が十分に報じられているとは言い難い。花粉症という身近な疾患を通じて見えてくるのは、医療と国際政治が無関係ではいられない現実である。患者にとって必要な治療をどう確保するのか――その問いは、社会全体に突きつけられている。

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