官僚の掌で踊る「脱官僚」

執筆者:白石均2009年11月号

「政治主導」への道を、着実に歩み始めたかに見える鳩山新政権。しかし、霞が関の抵抗は、予想以上にしたたかだ。 組閣直後から、前原誠司国土交通大臣は連日テレビ画面に登場し、八ツ場ダムの建設中止をはじめ、政策変更を唱えた。長妻昭厚生労働大臣が、公務員の人事評価基準の見直しに自ら乗り出したのも、地味ながら重要な動きだ。また、文部科学省では、稟議書の決裁権限を事務次官から副大臣に移す作業を行なった。官僚主導に慣れ切った霞が関では、「これまでと勝手が違う」「大臣らの意向が分からず、動きようがない」といった困惑の声が随所で聞こえる。 だが、これで「脱官僚」へまっしぐらかといえば、そう簡単ではない。 第一の問題点は、前原氏や長妻氏らの「脱官僚」の動きが、各大臣の個人プレーで終わっていることだ。たとえば、人事評価基準や決裁権限などは、本来なら、各省ごとに取り組むのでなく、内閣で統一方針を決めたらよい話だ。ところが、内閣のチームプレーはほとんど無く、官邸の後方支援を受けないまま、各大臣らがそれぞれ省内で孤軍奮闘する状況。「脱官僚」を看板にしている内閣にしては、いささか奇異な光景だ。 第二に、国土交通省や厚生労働省などで「脱官僚」が演じられている一方、財務省や経済産業省は明らかに「官僚宥和」路線だ。藤井裕久財務大臣は「予算編成権は(国家戦略局でなく)財務省にある」、直嶋正行経済産業大臣は「(補正予算で施設整備費の計上された研究所を視察したのち、)疑問がつくものはなかった」などと、すっかり官僚の代弁者と化している。これは、先月号までの拙稿で何度か指摘した「民主党は、財務省・経産省は味方につけて、国土交通省などを叩く方針」という見方とも符合する。

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