千葉市稲毛区。JR総武線稲毛駅周辺のマンション群を見下ろす丘に独立行政法人放射線医学総合研究所(放医研)がある。坂道を上りながら「放医研は、第五福竜丸事件をきっかけにつくられたものなんだ」と話すと、若い担当編集者は、「第五福竜丸事件って何ですか」と首をかしげた。 知らないのも無理はない。事件が起きたのは今から五五年も前のことなのだ。アメリカは一九五四年、太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁で水爆実験を行ない、静岡県のマグロ漁船、第五福竜丸の船員二三人が「死の灰」を浴びて被爆した。同年秋には一人が死亡。日本は、原爆と水爆、二つの核爆弾の被爆体験を持つ国となった。被爆国でありながら放射線研究が欧米よりも遅れていた日本は、第五福竜丸事件に促されるように専門研究所の設立を決める。五七年に科学技術庁の付属機関として開設されたのが放医研だ。 放医研は今もなお、第五福竜丸の乗組員の健康被害を調査し続けると同時に、被爆事故の救急施設としての役割を担っている。さらに、放射線を利用した最先端の医療技術の開発も重要任務の一つで、その象徴が、重粒子線によるがん治療だ。 医療は、診断、治療、看護などのあらゆる場面でさまざまな医療機器に支えられている。小さな物では血圧計や体温計、聴診器、注射器、メス、大きな物ではレントゲン撮影装置、CT(コンピューター断層撮影装置)、手術設備等々。先進国で進む高齢化と、患者のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)を高める医療技術への要望の高まりなどを背景に、医療現場で医療機器が果たす役割が大きくなり、同時に医療機器産業も拡大している。

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