最先端がん治療「重粒子線」が示す日本の技術力――医療機器産業の可能性を探る 1

執筆者:船木春仁 2009年12月号

 千葉市稲毛区。JR総武線稲毛駅周辺のマンション群を見下ろす丘に独立行政法人放射線医学総合研究所(放医研)がある。坂道を上りながら「放医研は、第五福竜丸事件をきっかけにつくられたものなんだ」と話すと、若い担当編集者は、「第五福竜丸事件って何ですか」と首をかしげた。 知らないのも無理はない。事件が起きたのは今から五五年も前のことなのだ。アメリカは一九五四年、太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁で水爆実験を行ない、静岡県のマグロ漁船、第五福竜丸の船員二三人が「死の灰」を浴びて被爆した。同年秋には一人が死亡。日本は、原爆と水爆、二つの核爆弾の被爆体験を持つ国となった。被爆国でありながら放射線研究が欧米よりも遅れていた日本は、第五福竜丸事件に促されるように専門研究所の設立を決める。五七年に科学技術庁の付属機関として開設されたのが放医研だ。

カテゴリ: 経済・ビジネス
フォーサイト最新記事のお知らせを受け取れます。
執筆者プロフィール
  • 24時間
  • 1週間
  • f
back to top