アフリカ南部アンゴラの各地で一月十日に開幕したサッカーアフリカ選手権。開幕二日前の八日、会場の一つである同国のカビンダ州で、大会に出場予定のトーゴ選手団のバスが銃撃され、コーチら二人が死亡する事件があった。選手団を帰国させたトーゴ政府に対し、アフリカサッカー連盟は「スポーツへの政治介入」として、次回と次々回の同選手権へのトーゴの出場停止を決定。トーゴ側は処分を不服とし、法廷で争う構えだ。 地図を見ると、カビンダ州がアンゴラの「飛び地」であることが分かる。静岡県程度の広さの土地に約三十五万八千人(二〇〇六年推定)が暮らす同州がアンゴラ本土から孤立してしまったのは、欧州列強が勝手な国境線を引いた植民地争奪戦の名残だ。 ポルトガル植民地だったアンゴラで一九六〇―七〇年代に解放闘争を主導したのは、現政府の母体である「アンゴラ解放人民運動(MPLA)」だった。だが、カビンダ州の解放闘争は全く違う経過を辿った。六七年に「カビンダ解放戦線(FLEC)」と称する組織が結成され、七五年十一月のアンゴラ独立の三カ月前に、「カビンダ共和国」の分離独立を一方的に宣言してしまった。この結果、カビンダ州ではアンゴラ政府の支配が一応は確立しているものの、FLECによる散発的な抵抗闘争が今日まで続いている。FLECは内部分裂しながらも今日まで存続し、今回の襲撃後に犯行声明を出したのは、フランス在住のロドリゲス・ミンガス氏が率いるFLEC-PMと称する一派である。

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