中印が進めるアフリカ研究連合?

執筆者:平野克己2010年10月8日

 先日、ある科研費プロジェクト(文科省の助成事業)の会合に参加した。経済史家たちの集まりである。収穫の多い会合だったが、そのひとつはODAの歴史的淵源であった。
 戦後しばらく、援助の思想や定義が各国バラバラだったことについては、以前にもこの欄で触れ、拙著『アフリカ問題:開発と援助の世界史』でも論じたが、この会合でインド研究者から「1950年代末に対インド国際借款団が作られたとき、アメリカが示した借款条件が、その後ODAの定義になった」という話を聞いて、私のなかですべてのつながりがついた。アメリカがいつ、どこで、なんのために援助論議の主導権をとったのかが具象絵画になったので、ハタと膝を打つ感じだった。

 その数日後、インド外務省のアフリカ局長と話をする機会があった。インドは2003年にアフリカ連合(AU)の要請を受けて「インド=アフリカ・フォーラム」を創設したが、彼は日本のアフリカ政策を調べにきたのである。“ODA発祥の地”インドはいま、開発支援を提供する側としてアフリカに向き合わなければならなくなっている。

 インドのネルー大学と中国の社会科学院がアフリカ研究のアジア・コンソーシアムを作ろうとしている。ネルー大学で開かれたアフリカ研究者の会議に参加した、信頼に足る日本人教授から聞いた話である。「ぜひ日本も参加してほしい」と要請されたという。だが、その教授が嘆くには、日本の学会はこのオファーに対して消極的らしい。
 日本のアフリカ研究は、アジアではダントツの歴史と水準を有する。私はインドのアフリカ研究は知らないが、中国や韓国におけるアフリカ研究論文の水準は未だしである。これまで欧米の学界から学び必死にキャッチアップを図ってきた日本の学界にとっては、交流するというレベルではないかも知れない。しかし、アジア諸国のアフリカ研究がどのような状況にあり、アフリカ関連情報の流通ぶりがどうなっているかを知ること自体が、日本にとって貴重な資産になるのだ。中国のアフリカ攻勢をみるにつけ、また、これから育つ次世代研究者のためにも、日本のアフリカ研究はアジア大で足場を用意しておく必要があると切実に思う。逡巡は命取りにもなりかねない。

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