先日、ある科研費プロジェクト(文科省の助成事業)の会合に参加した。経済史家たちの集まりである。収穫の多い会合だったが、そのひとつはODAの歴史的淵源であった。
戦後しばらく、援助の思想や定義が各国バラバラだったことについては、以前にもこの欄で触れ、拙著『アフリカ問題:開発と援助の世界史』でも論じたが、この会合でインド研究者から「1950年代末に対インド国際借款団が作られたとき、アメリカが示した借款条件が、その後ODAの定義になった」という話を聞いて、私のなかですべてのつながりがついた。アメリカがいつ、どこで、なんのために援助論議の主導権をとったのかが具象絵画になったので、ハタと膝を打つ感じだった。
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