アフリカに緑の革命を-ボーローグ博士への追悼

執筆者:平野克己2010年11月12日

 昨年、ノーマン・アーネスト・ボーローグが亡くなった。世界の飢餓と戦い続けた、95年の、強健で永い生涯だった。

 ボーローグは少年時代に大恐慌を体験した。ミネソタ大学で博士号を取得した1943年にはベンガル大飢饉が起こっている。人類は飢えていた。翌44年にボーローグは、ロックフェラー財団が食糧不足に苦しむメキシコ政府の要請で始めた小麦増産事業のリーダーとして、メキシコに派遣された。この事業はこんにちの国際開発援助の原点のひとつである。ここからボーローグの、飢餓との永い戦いが始まった。
 メキシコで悪戦苦闘する彼に光明をもたらしたのが、戦後GHQが日本から持ち帰った農林10号だった。この、背の低い(矮性)小麦は、吸収した養分を効率よく種子の生育に結びつけることのできる、早熟で、品質に優れた高収量品種だった。ボーローグは、農林10号をもとにアメリカで改良された矮性品種とメキシコ小麦をかけあわせて、2倍から3倍の収量をあげられる品種の開発に成功した。これによってメキシコ農業は救われたのである。

 1965年、インド亜大陸が大凶作に見舞われた。アメリカはインドとパキスタンに大量の栽培用小麦を搬送する。食糧援助ではなく、植えるための種子を送ったのである。その主力はボーローグが開発した新品種であり、彼自身も現地に派遣された。これが、のちに「緑の革命」と呼ばれることになるアジア農業の大変革の始まりであった。
 メキシコでの仕事がそうであったように、インドでの仕事も苦難をきわめた。多くの既得権益が彼を排除しようと試みたが、農民が彼を守った。ボーローグは「飢えた世界にもっとも多くのパンを与えた」(ノーベル委員会)功績で、1970年にノーベル平和賞を授けられた。

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