昨年十一月十日、衆議院外務委員会での「父子対決」が新聞紙面を賑わせた。河野洋平外務大臣に対し、長男である河野太郎議員が質問に立ち、米国の核の傘の抑止力をめぐる論議を展開したのだ。だが、周囲の注目に対して当の太郎氏は、「確かにオヤジは国会議員ですが、だからどうなんだっていう。『二世だろ』という言われ方は、何年か頑張ればされなくなるかなと思っています」とあっさりしたものだ。 一九六三年生まれの河野氏は、慶応中学、高校から進んだ慶応大学を一年余りで中退、ジョージタウン大学へ留学。比較政治学専攻の傍ら、大統領選の手伝いや下院議員のスタッフ等を経験。卒業後日本に戻り、富士ゼロックス及び日本端子株式会社に勤務した。 父・洋平氏が新自由クラブを結成した時、中学一年生の河野氏はその熱気に、「政治の力はすごい」と感じたという。「いずれチャンスがあれば政治も面白いだろうな」と思っていた太郎氏は、一九九六年の衆院選で父の隣の選挙区から出馬、当選を果たした。だが、洋平氏は、「一家で二人も選挙できるほど世の中は甘くない」と当初立候補に猛反対。選挙の応援もなかったそうだ。「外交をやるために、地方議員ではなく国政を選んだ」という太郎氏は、現在一回生ながら外務委員会で理事を務める。昨年夏には、日本の常任理事国入りへつながる国連安保理改革枠組決議が可決されるまで、任意拠出金を毎年一〇%ずつ削減するという大胆な国連改革促進法案を提唱。結局は党預かりになったものの、話題を呼んだ。

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