三月一日、町村信孝元文相は、小渕恵三首相(当時)から教育問題担当の首相補佐官に任命された。だが、わずか一カ月後に小渕首相が脳梗塞で緊急入院し、退陣。四月五日に町村氏が所属する自民党森派会長の森喜朗氏が首相に就任したのに伴い、町村氏の立場は大きく変質した。正式な肩書きは変わらないものの、「教育問題担当」という六文字が実態としては消え、今は全ての問題で森首相をサポートする首相補佐官と位置付けられている。

 森内閣発足後、首相官邸一階の奥まった部屋の改装工事が行なわれた。長らく使う人がなくカビ臭さが残っていたというこの部屋が、町村首相補佐官の“執務室”となった。それまでは、いわば「非常勤」扱い。会議の度に首相官邸に出かけていた町村氏に、急遽、専用の部屋が設けられたことが、その立場の変化を如実に示している。

 もう一つの象徴的な出来事は、首相官邸記者クラブに所属する報道各社が、「町村番」記者を置いたことだ。

 実際、森首相の「デビュー戦」となった四月七日の所信表明演説とその後の代表質問などで、町村氏は前夜遅くまで森首相と入念な打ち合わせを行なっている。さらに大型連休中の首相の九州・沖縄サミット参加国歴訪では、首相の発言内容は外務省が官邸に上げてきた案に、町村氏の考えを加味する形で成案が作られたという。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。