一九九九年一月のユーロ誕生まで、「欧州金融の法王庁」として君臨したドイツ連邦銀行が、醜いなれの果てを晒している。

 金融政策決定権を欧州中央銀行(ECB)に委譲した後に残ったのは、国内百三十五支店、職員一万五千人という肥大組織(ちなみに業務範囲で大きな差がない日銀は三十三支店、六千人弱)。リストラ案を行内でまとめることができず、政府に二案を提出して決断を「お願い」するなど、「政府からの独立」ぶりを誇った過去は遠いものとなった。

 アイヒェル蔵相とウェルテケ連銀総裁は、ヘッセン州政府で州首相と財政相の関係だったが、蔵相は全くお構いなしに「連銀つぶし」に乗り出した。連銀が持っている国債発行の入札実施権限を取り上げ、これを民営化して「民間から有能な人材を取り入れ機敏な発行で利払いを節減する」新機関の設置を打ち出した。

 連銀は、代わりに銀行監督権限を大蔵管轄下の銀行監督局から譲り受けようと懸命だが、「中央銀行の仕事にあらず」(ブロイアー・ドイツ銀行頭取)と民間の反応は冷たい。「権限争い」に奔走する連銀の姿は、いずこも同じ官僚主義の弊害を体現しているだけとなっている。

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