野村證券の「夢」を支えた志茂明という男

執筆者:喜文康隆2000年6月号

「この合併のほんとうの意味がわかるのは、もしかしたら二十一世紀になってからかもしれないなあ。もちろんそのとき、おれはこの世にはいないけれども」 一九八八年一月、野村総合研究所と野村コンピュータシステム(NCC)が合併して『野村総合研究所』(野村総研)が誕生した時、こうつぶやいた男がいた。志茂明。野村證券の元副社長にして、戦国時代の知将「竹中半兵衛」に模された男である。 志茂は一九九〇年五月十五日に、六十六歳で逝った。したがって、九〇年代の本格的なバブル崩壊を見ていない。田淵節也会長、田淵義久社長の退任に発展した第一次証券スキャンダルも知らないし、酒巻英雄社長以下、首脳陣の逮捕にまで発展した第二次の野村スキャンダルも知らない。自らの、そして野村證券の遺伝子に埋め込まれた「夢」の象徴とも言うべき野村総研の合併を果たした二年後、バブルで浮き足立った社内の空気を憂いながら、この世を去っていった。復活を物語る「株価」 野村證券というのはしたたかな会社である。未曾有の証券・金融危機、二度にわたるスキャンダル、海外法人や関係会社の経営危機にもかかわらず復活を遂げた。経常利益はバブルの最終局面だった八九年三月期の五千億円台には及ばないものの、二〇〇〇年三月期で三千億円を超えている。

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