「国家を巡る環境が激変の最中にあるのは事実である。しかし、それにもかかわらず、われわれが『国家』とは無縁に生を送ることができるようになるなどという議論は、現実の基盤を欠いた空理空論と呼ぶべきものである。『国家』は、われわれにとって、少なくとも予見できる将来に至るまでは『必要な存在』であり続ける」(櫻田淳『国家への意志』中央公論新社刊 一八〇〇円)

 

 これまで仕えてきた自民党代議士が今回の選挙で落選したため、政策担当秘書の職は失ったが、一貫して「政策提言型知識人」として活躍を続ける著者による、渾身の国家論である。

 タイトルが既に反時代的だが、内容も、日本の言論界が従来避けてきた「国家のあり方とその意味」を真っ正面から取り上げ、議論を呼びそうなものばかり。しかし、その論理をつぶさに辿ってみると、国家システムの動き方と人間性についての深い洞察に基づいた、いずれも極めてプラグマティックなものであることがわかる。

 例えば、相続税や所得税を劇的に下げて「富裕階級」を復活せよ、との議論。日本の過剰な「平等主義」が、実は「富の還流」を事実上、国家、特に大蔵省によって独占されることを前提としていたこと、従って自らの責任で文化活動や慈善活動を行いうる担い手が存在しえなかったこと、バブル時代のメセナがアワと消え、自治体の文化事業が使われない箱モノしか残さなかった遠因になっていること、などの指摘は傾聴に値するだろう。

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