「(今後は日本で)本名で正々堂々と闘う条件をつくりたかった」 中東に渡航してから約三十年。大阪で逮捕された日本赤軍の最高幹部、重信房子容疑者(五五)は弁護士を通じて、共同通信や朝日新聞にそんな手記を寄せた。 もはや中東は日本赤軍が活動する場ではなくなっていた。一九七一年二月、重信容疑者がアラブゲリラと連帯するためベイルートに渡った当時、彼らは「民族解放闘争」で一致していた。共闘してきたパレスチナ解放人民戦線(PFLP)のジョルジュ・ハバシュ議長はマルクス主義者であり、ともに反米・共産主義革命を目指した。 だが、いまパレスチナ解放の主導権は「ハマス」などのイスラム教原理主義組織が握る。冷戦終結後、闘いは宗教戦争に変質したのである。このため、日本赤軍は中東で「孤立状態に陥っていた」と公安筋は言う。そして、闘いの場を中東から日本に移し、結成しようとしたのが「人民革命党」である。 重信容疑者は二、三年前から偽造旅券を使って、北京―マカオ―香港―日本の間を計八回も行き来していたことが分かっている。 なぜ、それほど長期にわたって、行動の自由を確保できたのか。「中国は日本赤軍にサンクチュアリ(聖域、避難所)を提供していたのではないか」

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。