さらば日比谷高校

執筆者:喜文康隆2000年12月号

 世紀末には“亡霊”が蘇る。時代の過渡期に自らの尺度を失った世代の懐古趣味と、フロンティアを突き抜けることのできない大衆が織りなす「つかのまの共同体幻想」という亡霊が。 没後三十年の三島由紀夫のブームと、唐突ともいえる日本赤軍・重信房子の逮捕劇。変わり果てたかつての「ジャンヌ・ダルク」が奇妙な明るさで手錠をかかげる姿と、潜伏先から発見された二つのパソコンのコントラスト。IT(インフォメーション・テクノロジー)にとってかわられた「革命」ということばの残骸……。 いまひとつの時代錯誤は、十一月三十日に大阪で発表された松下電器産業の中期経営計画を巡る報道だ。マスコミはそれを、一九三三年以来続いた事業部制の解体ととりあげ、幸之助創設の経営モデルの転換と書く。松下幸之助が健在ならば、おいおい勘弁してくれよ、と言うだろう。「この世は無常と言うけれど、それは常でないということやろ。常でないということは、動いておるということや」(江口克彦『経営秘伝』)。いったい誰が六十六年間も制度を固定しろと言った? そして極めつけが、今回私が語る「加藤紘一の乱」だ。といっても、自民党の権力闘争で真田幸村にも小早川秀秋にもなれなかった男の物語ではない。幸村にも小早川にもなれない男をつくった戦後システムの話である。

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