「フランスでのトルシエは、(一九九八年ワールドカップで地元フランスを初優勝へと導いた監督)エメ・ジャケのような有名人とは言えません。しかし、サッカー界での評価は高い。次期フランス代表監督の候補としても、五人のうちの一人には数えられる」 そう語るのはサッカー日本代表監督を務めるフィリップ・トルシエ氏の故国、フランスを代表するスポーツ紙「レキップ」のジェローム・トウブラ記者だ。 W杯決勝の翌日、百万人の市民がシャンゼリゼ通りを埋めた、フランス代表チームの優勝パレードは記憶に新しい。二大会続けて欧州予選で敗退していたチームを再建し、W杯を勝ち取ったジャケ監督は、さながら二百年前、イタリア遠征からパリに凱旋した将軍ナポレオンのような国民的英雄となった。その地位を、野心家として知られるトルシエ氏が狙わないはずがない。 九八年、日本代表監督に就任するまでの九年間、トルシエ氏は躍進著しいアフリカ各国で成功を収め、「白い妖術師」とまで言われた。年齢は五五年三月生まれの四十五歳。二〇〇二年の日韓W杯まで日本で監督を務めても四十八歳と、引退するにはまだ若い。ジャケ氏はフランス大会の時で五十六歳、トルシエ氏と同じく二〇〇二年まで契約のある現フランス代表監督のロジェ・ルメール氏は五十九歳だ。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。