フライパンから火の中へ
2001年3月号
一月にフィリピンで政変があったとき、私は胸中「あ、またやってる」と、一種憐憫の情を覚えた。 数十万の群衆がマニラ街頭に出て、アロヨ副大統領と国軍参謀総長が先頭に立ち、みんなが笑顔で正義を行う満足感に浸っている。民衆の熱狂的支持を得て当選したはずのエストラダ大統領は、あれよあれよという間に「辞任」させられ、たちまちアロヨ新大統領の就任宣誓式。極貧から這い上がった男は捨てられ、コラソン・アキノそっくりな大金持ちのお嬢様が政権を握り、さすがアメリカの学校を出ただけに、お上手な英語で演説なさった。 フィリピンの憲法には「政権の交代は街頭において決する」と書いてあるのか? あれでも法治国家か?「人民の力」か何か知らないが、フィリピンはいつまで経ってもスペインの熱い血とハリウッド的メロドラマという旧宗主国直伝の「文化遺産」から脱皮できないらしい。 私の世代の「アジア屋」は、一九六五年にマルコスが大統領になったときのフィリピン人の喜びようを憶えている。マカパガル時代の末期は、マニラ空港でタクシーに乗ったが最後、どこへ連れて行かれて身ぐるみ剥がれるか知れない国だった。マルコスは、そういう国に秩序を与えた。
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