省庁再編が生んだ新たな実力者たち 森喜朗首相が四月六日の閣僚懇談会で、ついに退陣を正式に表明した。就任からほぼ一年。度重なる失言などによる政権の求心力低下と、米国経済の急ブレーキの時期が重なって、景気後退の瀬戸際まで追い込まれた森政権は、自らの「経済無策」の責任転嫁を繰り返した。その露払いを果たしたのが、一月の省庁再編で誕生した「内閣府」だった。 内閣府は、総理府、経済企画庁、沖縄開発庁を統合して誕生した。首相と内閣官房を支え、内閣官房長官を中心に、政策の企画や総合的な調整を行なうのが役割で、他省庁よりも一段上の立場と位置付けられている。 内閣府の目玉の組織が、予算編成の基本方針などを調査・審議する役割が法律で規定された「経済財政諮問会議」だ。モデルは、米国の大統領経済諮問委員会(CEA)で、事務局は、経済企画庁が母体。首相を議長に官房長官、財務相、経済産業相、経済財政担当相、総務相、日銀総裁と四人の民間人を含む十一人のメンバーで構成。民間メンバーには、奥田碩トヨタ自動車会長(日経連会長)、牛尾治朗ウシオ電機会長(前経済同友会代表幹事)、本間正明阪大教授、吉川洋東大教授が選ばれた。 民間人の登用も、省庁再編の“売り物”だ。四年前にまとめられた行革会議の最終報告に明記され、政府は昨年秋の臨時国会で、専門知識を持つ民間人を国家公務員一般職に採用し、最高で東大・京大学長並みの年間約二千六百万円を支給できるようにする「任期付き職員法」を成立させるなどの準備をしてきた。

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