アメリカのシリコンバレーほどではないが、日本初の創造型情報産業拠点である“サッポロバレー”。バレー誕生の立て役者が北海道大学大学院教授の青木由直だ。大学が後ろ盾となって新産業とベンチャー企業を育て、地元経済を活性化させる。まるでアメリカの大学とビジネスの関係を見るような状況が札幌にはある。しかし、あにはからんや青木は、アグレッシブな姿勢とは対照的な古典的な大学人であった。 旧通産省は、一九九九年の「産業構造審議会地域経済部会報告書」の公表を機に、地域産業政策を大きく転換した。三大都市圏にあった大企業の工場を地方に分散して地域経済の活性化を図ろうとするそれまでの政策から、「地域固有の産業資源を活用してIT産業を軸とする地域経済の内発的・自立的発展を図る政策」へと改めたのだ。政策の中核をなすのが大学だ。国立大学の独立法人化を通して大学改革を促し、その知的資産を産学連携で地元に還元し、ベンチャー企業の育成を図る。そのモデルケースとされたのがサッポロバレーである。 北大から歩いて数分の札幌駅北口と札幌の隣駅近くにある札幌テクノパークに約八〇社のIT関連産業が密集するサッポロバレーには、なじみのある企業も多い。ISDN用TA/DSU装置を開発したBUG、ゲームソフトのハドソン、データベースソフトのダットジャパン、宛名書きソフトのアジェンダ、画像素材ソフトのデータクラフト等々。いずれの企業も青木が主宰した「北海道μ(マイクロ)コンピュータ研究会」に源流がある。

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