世論迎合なき「改革」を目指せ

執筆者:佐伯啓思2001年5月号

小泉政権発足により、「構造改革」が一層声高に叫ばれているが、重要なのは、ムード的改革ではなく、国益に即した自発的改革だ。 小泉政権が発足して、自民党の党改革とともに、経済の構造改革が政策の柱となっている。思えばこの十年にわたって「改革」をキーワードとした政権が次々とめまぐるしく変わってきた。「政治改革」から始まり、経済構造改革、財政改革、行政改革、教育改革と続き、しかもその中心となる経済改革をとっても、改革の内容は決して常に一貫していたわけではない。規制緩和、価格破壊からはじまり、官僚批判、日本的経済システムの見直し、さらには閉鎖的、集団的な日本人の生活や価値観の見直しにまで至り、この一、二年の「改革」は、金融機関の不良債権処理やIT化の推進を意味しているように見える。 この一事をとっても、この十年にわたって「改革」という言葉だけが乱舞しており、その内容は状況次第で変化し、人によって意味内容が異なっているといった方がよかろう。言い換えれば、「改革」は時代精神をあらわす便利な標語となってしまい、ただ「改革」という言葉によるイメージ・ポリティックスが行われている、といってよい。このイメージ・ポリティックスを作り出すものは、ただ政治家だけではなく、むしろ、ジャーナリズムの世論形成によるところが大きく、国民はともかくも「改革」を求めているという一種の共通了解をジャーナリズムは既成事実化してしまった。

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