湾岸戦争からことしでちょうど十年。敗北したはずのサダム・フセイン・イラク大統領はなお強権体制を維持し、皮肉にも、石油輸出国機構(OPEC)内での石油価格の動向を左右する力は以前より増した。 他方米国では、湾岸戦争に大勝利したはずのブッシュ(父)大統領が翌年の大統領選挙に敗れたものの、長男がことし大統領に就任し、時代に逆行するとも思えるエネルギー大増産政策を発表した。田中真紀子外相の指摘を待たずとも、ブッシュ家は石油資本との関係が深い。 この間、日本では何が起きただろうか。昨年二月末、アラビア石油(小長啓一社長)はサウジアラビアの自主開発油田の採掘権を失い、次は二〇〇三年一月に期限切れを迎えるクウェートとの石油権益更新交渉の開始が決まった。 湾岸戦争で日本が百三十億ドルもの多国籍軍支援(現実には米軍支援)を行なった裏には、原油供給の安定確保という狙いもあったはずだが、その戦略に前進があったとは思えない。 そんな中「石油資源問題には、日本赤軍最高幹部の重信房子被告(五五)も一役買っていたんです」と在京国際情報筋が明かしてくれた。 アラ石の採掘権延長をめぐるサウジアラビア側との交渉が難航した昨年初めのことである。日本赤軍関係者から同筋に、「重信が交渉の妥結に向けて協力します。ただし、重信に対する刑事訴追を停止してくれれば、という交換条件付きです」という話がもたらされた。同筋はアラ石と関係の深い国会議員や当時の通産省などに話を伝えたが、芳しい反応は得られなかった。

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