「加盟後」を左右する高官たちの力量

執筆者:綾瀬隆2001年11月号

WTO加盟までの道のりは、政治路線をめぐる保守・改革両派の暗闘の経緯でもある。十五年来の課題を実現したのは誰か。改革・開放の新局面にも大きな影響力を持つ彼らの素顔を探る。 米国東部の名門、マサチューセッツ工科大学。一九九九年四月の訪米途中、ここで講演した中国の首相・朱鎔基は、壇上に同席していた女性国務委員、呉儀(六三)をふり返りつつ聴衆にさりげなく語った。「彼女こそがわが国のWTO(世界貿易機関)加盟に関する米国との交渉で、カギとなる人物です。なべてWTO加盟の交渉では、彼女こそ総理でして、私は副総理でしかありません」 WTO加盟に関する米中交渉は、この年の十一月に北京で合意に達した。電信市場の開放や米国産農産物の輸入拡大など、バーシェフスキ米通商代表を迎えての閣僚級交渉は最後まで予断を許さない厳しいものとなったが、この交渉を妥結に導いたのが朱鎔基を筆頭とする少数の高官グループだった。 WTOの前身・関税と貿易に関する一般協定(ガット)への加盟(中国側の呼び方では「復帰」)申請から十五年に及んだ中国の加盟交渉だが、日中・米中など二国間の市場アクセス交渉や議定書策定をめぐるジュネーブでの多国間交渉といった対外交渉だけが駆け引きの場なのではなかった。

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