いま問われる「責任国家」日本の覚悟

執筆者:船橋洋一2002年1月号

「対米支援」の底流に垣間見えた受け身の姿勢は、日本外交の脆弱さを改めて浮き彫りにした。今後、米国は鬼門にもなりかねない。真のグローバル・パワーとして描かれるべき国家像とは――。 小泉純一郎首相は昨年末、総理執務室を訪れた客人に「今度の対テロ戦争は日本にとって何が最大の教訓でしたか」と聞かれたとき、ちょっと考えてからこう言った。「やはり米国との関係がすべての基本ということだね。ブッシュとの最初の会談がうまくいったことがその後の日本のテロとの戦い、日本の外交にプラスになった。それから、そうね、常識ということだね。常識、常識」「常識」のシキのところ、子音を破裂させ、息を短く吐き出すどこかロック調となる。国会でテロ特措法を通すに当たって、憲法論議、集団的自衛権論議ではこの言葉を何度も使って、押し切った。「自衛隊も海外派兵していい」という「常識」、「自衛隊に戦力があると考える」のも「常識」、「対米支援」も「常識」。そうした常識が国民の支持を得た……。七〇%の支持率を背にした自負がのぞく。 その認識は必ずしも的はずれではない。「対米支援」の核心は海上自衛隊のインド洋での米艦船に対する燃料補給だった。「対米支援」外交は他の外交を円滑に進めて行く上での必要条件だっただろう。歴史教科書問題と靖国神社参拝問題でこじれた韓国と中国との関係を修復したのもテロとの戦い、なかでも「対米支援」の乗合馬車に一緒に飛び乗ってのことだった。ワシントンでは「コイズミは信頼するに足る国際的パートナー」(ホワイトハウス高官)という評価が固まっている。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。