修復されたヴェッキオ宮に踏み入って

執筆者:大野ゆり子2002年4月号

 夕刻が近づいていた。フィレンツェの街を流れるアルノ川は、沈みゆく太陽で黄金色に染まり、ウフィッツイは、汲み尽くせぬ美に眩暈を覚え、疲労しつつも満足気な表情を浮かべた人々を放出する。ヴェッキオ宮殿の鐘楼は、暮れゆく空を背景に一層、その特徴ある姿を際だたせていた。その下の石造りのファッサードを過ぎ、先頃、修復を終えた宮殿内に入ってみた。十六世紀以来、二世紀にわたってメディチ家の城だったこの建物は、輝く栄光の陰で、不可解な死が続いた一族の歴史と同じように謎につつまれている。修復のたびに判明する意外な事実が美術史家を驚かせ、その全容は未だに解明されない。 初代トスカナ大公・コジモ一世がフィレンツェ共和国の政庁舎をヴェッキオ宮殿として改修させ、移り住んだのは一五四〇年。都市国家が絶対主義に道を譲ったことを象徴するできごとだった。ナポリ王宮から后エレオノーラを迎えたコジモは、息子にはハプスブルク皇帝の妹を娶らせ、公国の足固めをはかる。ミケランジェロはもはや六十五歳の老境にあり、時代はのびやかで自由な人間精神を愛したルネサンスから、権力者の栄光を装飾的に裏書きするバロックへと針を進め、その狭間でこの宮殿の室内装飾に代表されるマニエリスムというあだ花を咲かせた。たとえば、ボッティチェッリの「春」が持つ開放感に比べ、蛇のように体をくねらせるこの時代独特の人体表現は、なぜか妖気が漂い、どこか病んでいる。

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