「モスクワ劇場占拠事件」の悪夢は終わらない

執筆者:松島芳彦2002年12月号

[モスクワ発]モスクワの地下にはスターリン時代に造られた無数の秘密の地下道が張り巡らされている。冷たい雨が降りしきる十月二十六日午前四時すぎ。ロシアが世界に誇る対テロ特殊部隊アルファとブインペルの精鋭がこの地下道を通り、チェチェン武装勢力が八百人以上の人質と立てこもるミュージカル劇場の下へと進んだ。 突入直前に客席後ろの通気口から、麻酔剤「フェンタニル」が主成分と後に発表された特殊ガスを注入。別の一隊も劇場の壁を爆破してなだれ込んだ。犯人や人質が異変に気づいた時は既に意識が薄れ、犯人は客席や自分に縛りつけたTNT火薬百二十キロ分の爆弾を爆発させる暇もなかった。 銃撃戦はわずか五分で終了した。血の海に四十人を超える犯人の死体が散乱した。アルファ隊員は、リーダーのモフサル・バラエフの死体のそばに酒ビンを置いた。彼がイスラム教徒なのに酒を飲んでいたと見せかけ、イメージを壊すためだったと伝えられる。犯人は全員射殺され、突入部隊に犠牲者はいなかった。制圧作戦自体は、アルファOBが「五点満点で四・五点」と評価する上々の出来だった。 しかし、制圧直後の混乱がクレムリンの危機管理能力の欠如をさらけ出した。救急車が現場に大量動員されたのは突入から四十分後。疲労と緊張の極限状態で特殊ガスを大量に吸った人質は、バスで病院に運ばれる途中で次々に息を引き取っていった。現場には酸素吸入器も、特殊ガスの効果を減退させる注射もほとんど用意されていなかった。一刻も早い応急処置が生死を分ける局面が当然予想されながら、「突入後」への配慮と準備は驚くほど貧弱だったのだ。

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