二〇〇三年は、四年に一度の統一地方選が行なわれる地方選挙の年。四月に投票が実施される統一選では、都道府県、市区町村の首長、議会議員の選挙が延べ二千カ所以上で行なわれる。 地方選挙、とりわけ首長と言えば、四選、五選は当たり前、共産党を除く既成政党が主義主張を乗り越えて現職候補を推薦し、共産系候補を蹴散らして圧勝というのが一般的なパターンだった。ところが有権者がこうした「地方選の常道」を拒否するケースが続出。候補者の側も敏感に反応し、知事選、政令指定市長選で、再選出馬確実とされていた現職が次々と引退を表明するなど、地方選に大きな変化の波が押し寄せている。 この一年で、全国の政党関係者に最も大きな衝撃を与えたのが、三月の横浜市長選だ。この選挙には、七十二歳で四選を目指した現職の高秀秀信氏が、自民、公明、社民、保守各党の推薦を受けて出馬。これに対抗し、投票一カ月前に三十七歳の中田宏衆院議員(神奈川八区選出、無所属の会)が突如、出馬を宣言した。中田氏に勝算があったわけではないが、蓋を開けてみると、中田氏が約四十四万八千票を獲得、約四十二万七千票の高秀氏を抑えて初当選してしまった。両者の得票率の差は二ポイント弱で、数字の上では中田氏の辛勝。ただ、政党関係者にショックを与えたのは、投票率が三九・三五%と、さほど高くなかったにもかかわらず、現職の票が伸びなかったことだ。

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