長期政権への布石を打つタクシン首相の野望

執筆者:樋泉克夫2003年3月号

 タイのタクシン首相(一九四九年生れ)が政権の座に就いたのが二〇〇一年二月。以来、彼が率いるタイ愛国党は中小政党を実質的に“買収”し、下院(定数五百)の単独過半数を超える二百九十四議席を持つ大型政党に変身する一方、タイ国民党、国家発展党の両党と連立を組み、三百六十五議席を擁する連立政権を維持してきた。これに対し、野党と呼べるのは百二十九議席の民主党のみ。与党が大分裂でもしない限り、議会運営は磐石だ。 さらに昨年十月の省庁再編を機に内閣を改造し、意にそわない大臣を切り捨て有力支持者を閣内に取り込むなど、一糸乱れぬ政権運営を目指す。そのため、「二期八年」の当初目標はもちろんのこと、最近では専門家の中から「三期十二年」の“超長期政権”の声すら聞かれるようになってきた。 警察官を務めながら夫人と共に通信・電話事業を起こし、八〇年代後半にはタイ有数の個人資産を築いていたタクシンが政界に進出したきっかけは九二年にバンコクで発生した「五月事件」だった。 自らが築いた政権をもりたて政治的権益を死守しようとした国軍首脳陣は、国軍の政治介入反対を掲げる抵抗勢力に銃を向ける。多くの血が流され、社会は大混乱に陥り、タイの対外イメージは最低ラインまで低下した。かくてプミポン国王の怒りを買ってしまった国軍首脳陣は、国家混乱の責任を取る形で政権を“奉還”せざるをえなかった。国王の影響力を、改めてタイ内外に強く印象づけた瞬間だ。

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