「解放の日」の後に積み残された課題

執筆者:田中明彦2003年5月号

 四月九日、サダム・フセインの像が歓声とともに引き倒され、バグダッドが陥落した。三週間という驚異的なスピードで、米英を中心とする連合軍は、サダム・フセイン政権を事実上、崩壊させた。国連安全保障理事会の新たな決議なしでの開戦ということもあって、世界各地で反米・反戦デモが行なわれる中での戦争であった。戦争に至る過程でおきた主要国間の対立は、冷戦後これまでにないものだった。戦後のイラクの復興に本格的に取り組まなければならない現在、国際社会は、再び協調の体制を作り出していくことができるだろうか。解放の喜びと高まる懸念 イラク戦争を一貫して支持してきた『ウォールストリート・ジャーナル』紙社説は、「昨日のバグダッドの中心街は、一九八九年のベルリンのようであった。喜びあふれるイラク人たちは、嫌悪された政権の終焉を祝福した。サダム・フセインの彫像が地面にむけて倒されている写真は、いまだ彼の行方はわからないにしても、彼の終末の象徴として歴史書に掲げられるであろう」と指摘した(“Liberation Day”『ウォールストリート・ジャーナル』電子版、四月十日)。 戦争を基本的に支持してきた『ワシントン・ポスト』紙社説も、「燃え上がる感情を爆発させたイラクの首都の人々が表していたものは、二十一日間続いた爆撃からだけでなく、何十年も続いた残虐な独裁からの解放の喜びと安心なのであった」「昨日の祝福の場面こそは、イラク人はサダム・フセインからアメリカ軍によって解放されることを望んではいないのではないかと見ていた懐疑論者への回答であった」と書いた(“Liberated Baghdad”『ワシントン・ポスト』電子版、四月十日)。

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