大停電とソロバンの関係

執筆者:徳岡孝夫2003年10月号

 頭上の電気がパッと消える。窓の外を見ると隣家も真っ暗。「あなた、停電よ」。 なぜか停電は人をウキウキさせる。雨戸を繰って朝の庭に初雪を見たような、ときめきを与える。断水では、そうはいかない。一九七七年にニューヨークで大停電があって、数百万人が明りもテレビもない夜を二晩ほど過した。十カ月後、同市の出生数に有意の増加が認められた。アメリカ人も、停電になると何だか急にヤル気が出るらしい。洞窟に住んでいた大昔が甦るのか? 私の世代は、停電ならイヤというほど知っている。心の底で、いつかきっとあの時代に戻るぞと覚悟している。停電でなくても、昔の日本の夜は真の闇だった。 大都市の都心ならともかく、私の育った郊外でも、鼻をつままれても分らぬ暗さだった。人にぶつからずに歩けたのは、昔の日本人が下駄をはいていたからである。表を行く下駄の音で、戦前の日本の夜は今日よりずっと喧しかった。のみならず通行人が男か女か、音で分った。外出していた家人が帰ってくると、近付く歩き癖で帰ってくるなと分った。停電になると、音はいっそう冴えて聞えた。 米国北東部からカナダにかけ、五千万人を巻き込む大停電があった。ニューヨークをはじめクリーブランド、デトロイト、トロントまで真っ暗になった。東部は午後四時過ぎで、地下鉄が動かず交通信号も消えたため、ブルックリン橋を歩いて帰宅する人の群れが日本の新聞にも出た。

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