アラファト議長はKGBの手先だったのか?

執筆者:春名幹男2003年11月号

 日本人は判官びいき、と決まっている。例えば、パレスチナ問題。弱い者の味方であるアラファト・パレスチナ自治政府議長が、いつもシャロン・イスラエル政権の軍や官憲にいじめられる構図、と信じて疑わない。「アラファト追放」を決定したイスラエル政府に対しても、新聞論調の批判は厳しい。 しかし、イスラエル側の抜きがたいアラファト不信の根源的理由はどこにあるのだろうか。そんな疑問を持つ日本人は少ない。 九月二十二日付の米紙ウォールストリート・ジャーナルに掲載された、元ルーマニア情報局(DIE)副長官、イオン・ミハイ・パセパ氏の寄稿記事には冷水を浴びせられた。判官びいきにはあまりにも刺激的だった。 パセパ氏は、チャウシェスク政権時代の一九七八年七月、アメリカに亡命した。彼は、チャウシェスク大統領の側近として、ソ連国家保安委員会(KGB)が絡んだハイレベルの秘密工作に関与した人物だった。 パセパ氏によると、ルーマニアはKGBの依頼を受けてアラファト氏がアメリカに気に入られるように働きかける作戦に従事した。 パセパ氏は七二年二月、ユーリー・アンドロポフKGB議長(後に共産党書記長)と会談した後、KGBの「アラファト個人ファイル」を渡されたという。

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