芸術を産むカタルーニャ魂

執筆者:大野ゆり子2003年11月号

 九月十一日がやってくると、カタルーニャ人の胸には熱いものが込み上げるという。もっとも、この「9.11」は、世界史を塗り替えた二年前の同時多発テロとは何の関係もない。彼らが思いを馳せるのは一七一四年の「9.11」。スペイン継承戦争でマドリッドを中心とするカスティーリャと戦ったカタルーニャが自治の特権を失い、バルセロナが陥落した日のことだ。敗北の結果、カタラン語が禁じられた。この屈辱の日の記憶は、三世紀近く経った今も、カタルーニャの“国民の祭日”として受け継がれているという。 私がバルセロナを訪れた九月十一日にも、ランブラスという遊歩道に沿った建物の窓からは、黄色の地に赤の四本線が入ったカタルーニャの旗がひらひらと翻っていた。 この旗の由来は九世紀末にさかのぼるそうだ。ノルマン人の侵攻を受けて窮地に陥ったフランク王が、カタルーニャ伯に援軍を頼んだ。王はすでに傷を負っており、あわやというところで勇敢なカタルーニャ軍に助けられ、戦いに勝った。「この恩にいかに報いよう」と問う王に、カタルーニャ伯は「盾のための紋章を」と所望する。この武勇にふさわしい紋は何か、としばし考え込んだ王は、やにわに右手の指四本を自分の傷口に入れ、したたる血で盾に四本の線を引いた。旗にある四本の線はカタルーニャの勇気を讃えてつけられたこの時の血の跡である。

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