総会屋事件が炙り出した「堤帝国」の落日

執筆者:杜耕次2004年4月号

かつて国内最大の「土地持ち企業」と呼ばれた西武グループ。だが闇の紳士の暗躍により、その看板が色褪せたことが露見してしまった。 三月一日、埼玉県所沢市の本社で記者会見した西武鉄道社長、戸田博之(六八)の脳裏には、十五年前の光景が去来していたかもしれない。 一九八九年五月、プロ野球西武ライオンズの球団常務だった戸田は当時の二軍打撃コーチ、土井正博がマージャン賭博の現行犯で逮捕された事件の責任を問われ、球団代表の坂井保之とともに更迭された。その二年前の八七年には主力投手の東尾修(後に監督)がやはりマージャン賭博に絡んで書類送検された問題があり、組織として相次ぐ不祥事のけじめをつけた形だった。 ただ、戸田は兼務していた西武鉄道常務の地位は安泰で、九二年には専務に昇格し、九六年に国鉄総裁から天下った仁杉巌の後任の社長となった。西武グループ総帥として君臨する堤義明会長(六九)の信頼は厚く、九八年からは球団オーナー代行も務めて球界での名誉も回復。現在名実ともにグループでナンバー2の座にある戸田にとって唯一といってもいい汚点が賭博事件だったが、「この賭博事件の処理の手際の良さが評価され、その後のトントン拍子の出世につながった」(元西武グループ幹部)との見方もある。

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