日本中を揺るがすことになるイラクでの日本人人質事件の第一報がカタールのテレビ局「アルジャジーラ」から外務省にもたらされたのは、年金制度改革法案をめぐる与野党攻防で紛糾していた国会が六日ぶりに正常化し、小泉内閣が一息ついた四月八日の夕刻だった。 アンマンから陸路バグダッドに向かっていた日本人の民間ボランティア二人とフリージャーナリスト一人の計三人が武装グループに拉致され、犯人側はイラクからの自衛隊撤退を求めている――というのが事件の概要だった。アルジャジーラに届いたCD-ROMには痛々しい三人の映像が収められ、「放送から三日以内に日本の軍隊が我々の国から出ていかなければ三人を焼き殺す」とのメッセージが添えられていた。午後九時、アルジャジーラはこのニュースを放送し、「三日以内」の非情のカウントダウンが始まった。 この種の事件では人命尊重を第一に犯人側と交渉するのが日本流だ。国内の事件はもとより、海外での日本人誘拐事件もほとんどその流儀で解決を図ってきたと言っていい。犯人を刺激しないように最大限要求を受け入れる姿勢を示し、人質の無事を図るというやり方だ。しかし、今回の日本政府の対応は違った。「人命尊重」より「テロには屈しない」という国際社会の原則を優先させたのである。断を下したのは無論、小泉純一郎首相だ。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。