政争が実らせた「ODA改革」という成果

執筆者:野嶋剛2006年4月号

まさに瓢箪から駒。JBIC解体を巡る政官財入り乱れての綱引きは、結果的に「戦略的外交」の礎となりうる変革を生んだ。「坂は許せん。自分が日本に戻るまで、この話は動かすな」 一月十七日、麻生太郎外相は訪問先のクウェートから国際電話で外務省幹部を怒鳴りあげた。「坂」とは一月に内閣官房副長官補に就任した財務省OBの坂篤郎氏のことである。麻生氏は安倍晋三官房長官ら関係閣僚などにも相次いでダイヤルを回し、坂氏の動きに乗らないようクギを刺したという。 当時、坂氏は官邸内でこんなアイデアを周囲に説明したとされる。政府の途上国援助(ODA)について、重要閣僚による戦略会議を設置すべきで、その事務方トップは自分が務める――。その情報が外務省経由で麻生氏に伝わった。 麻生氏が怒るのも無理はない。麻生氏自身、クウェートに出発する前からODAの戦略会議を設ける構想を温め、根回しも進めていたからだ。ODAの総合戦略を論議する場としては十三省庁が参加する対外経済協力関係閣僚会議があるが、開催は年に数回程度と形骸化し、改革の必要性は関係者の共通認識だった。だが麻生氏の案は主導権を財務省出身の官僚が握るという話ではなかった。

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