6月2日ドイツ連邦議会はオスマン帝国による第一次世界大戦中のアルメニア人への迫害を「虐殺」と認定する決議を行った。直接的に政府の行動を縛るものではないが、ドイツとトルコの外交関係に支障をきたす影響を及ぼすことは確かだ。

第一次世界大戦中の1915年にオスマン帝国の指導部が推し進めた、支配下のアルメニア人の強制移住がもとで、多くが命を落とした。これを「虐殺」と認定させることが、世界に散らばって政治的・経済的な影響力を持つアルメニア人の政治活動の中心をなす。第一次世界大戦の開戦から100年という区切りの年を迎えた1914年を画期として、「虐殺」認定をめぐる歴史認識の闘争が活発化している。

アルメニア系が多く、政界でも力を持つフランスでは、すでに議会の「虐殺」認定が行われており、2006年には虐殺の否定を犯罪とする法が採択されている2011-12年にはナチスのホロコーストと「抱き合わせ」で虐殺の否定を処罰する法案が採択されたが憲法評議会が、表現の自由を制限するため違憲と判断した。その際、虐殺否定処罰法を推進してきた社会党のオランド大統領は法案再提出の構えを表向きは示した。ドイツでは、西欧の中で最もトルコ系移民労働者に依存してきた事情や、何よりもドイツ自身がユダヤ人虐殺の当事者で、「虐殺か否か」という歴史認識問題を生じさせた張本人であること、そして第一次世界大戦でオスマン帝国と同盟していた「加害者側」でもあるということから、「100周年」の昨年までに「虐殺」決議は通らなかった。

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