ドイツ・ミュンヘンの、難民向けに建設が進む団地の周囲を、ベルリンの壁以上の高さの壁で囲んでいることが話題になっている。ベルリンの壁を壊して、難民受け入れなどでグローバル化を主導するドイツが、しかし「ミュンヘンの壁」を作っている、というところに象徴的な意味が読み取られているようだ。

 メルケル政権がシリア難民の大規模な受け入れを表明し実施する一方で、社会の中からは強い反発も出ている。ここで問題になっているのは若年・未成年の難民を収容する施設である。若年・未成年が家族と離れて単独で難民・移民となって先行して西欧に渡ろうとする事例が目立つ。人道的観点から受け入れられやすいからである。ドイツ側には可塑性の高い若年層であれば教育によって統合をより円滑に進められるという認識もあるようだ。そういった理由から単身・若年層の難民を率先して受け入れつつ、しかしそれが周辺住民からは「迷惑施設」として受け止められ、結局、居住地を高さ4mを超える壁で囲い「飛び地」のようにしてしまうことになった。この政策は、欧州が掲げる人道主義の施行可能性の限界を象徴する。

 グローバル化の逆説は、かえって壁があちこちにできることだ。人や物や情報の流通を活発にすることで多くの人が多くの利益を得るが、同時に、難民も犯罪者もテロリストも、過激思想も病原菌も国境を越えて広がってしまう。そうなると、グローバル化を進めながら、壁も同時に作って、食い止めるべきものは食い止めるということにならざるをえない。そこで何をどのように食い止めるかについては、民主主義の国では民主的決定に、独裁国では独裁者の判断に委ねられることになるだろうが、いずれにせよ恣意的にならざるをえない。

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