「日本国王」

執筆者:岡本隆司2019年1月26日
足利義満は、「日本国王源道義」の称号を明の皇帝から得た
 

 前回に論じたところをまとめてみると、日本人は「皇」「王」という漢語概念を同義とはいわないまでも、互いにかけ離れた意味内容をもつものとして意識しなかった。そうした無差別の語感は、国内的に君臣の別をはっきり分かつ機能があったと同時に、対外的には主観であれ、中国との対等を意識できる作用を果たしていた。

消えゆく「天皇」

 そうはいっても、「皇」にせよ「王」にせよ、外来語の君主号であることに変わりはない。あくまで外向けのいかめしい、そもそも日本人になじみにくい表記である。中国・漢語との関わりから生まれてきたものだから、現実に中国との関係、あるいはその意識が希薄になっていけば、そうした字句そのものを使わない方向に転じても、不思議ではない。とりわけ「天皇」号がそうだった。

 そのあたりの事情は、やはり史書につくのがわかりやすい。古代日本には、『日本書紀』にはじまる「六国史」という官撰の正史がある。中国の史書にならった体例で、もちろん漢文で書かれた。9世紀末、光孝天皇の御代までカバーしており、『新唐書』日本伝の記述も、おそらく有力な資料としたものであろう。「天皇」の称号は、このあたりまではなお続いていた。

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