オースティン米国防長官はケニアを訪問し、「ケニアがハイチの治安支援任務を率いる姿勢に感謝した。アメリカは強力な経済支援と後方支援を提供する用意がある」と表明した[9月25日、ナイロビでケニア国防相との共同記者会見](C)EPA=時事

ハイチにおける国連PKOの苦難

 アメリカは、20世紀初めにハイチに軍事介入してそのまま占領統治をした歴史を持つ。ハイチにとっては嫌悪の対象であると同時に、畏怖の対象でもある。アメリカの軍事介入以外の手段でハイチの治安回復を図ることは不可能だ、という声も根強い。もっともハイチは、アメリカにとっても鬼門と言える場所だ。アメリカは1994年にもハイチに軍事介入を行ったが、その結果が今の状態である。二度と介入したくないと思うのも、無理はない。

 ハイチでは、1991年のクーデター後に軍政が続いていたが、交渉による解決の機運を捉えて1993年に「国連ハイチ・ミッション(UN Mission in Haiti: UNMIH)」が展開することになった。しかし軍政が民政復帰の約束を反故にする行動に出たことにより、1994年にアメリカ軍が介入して軍政を倒し、ジャン=ベルトラン・アリスティド大統領を復権させた。その後、アメリカは再び国際機関の活動の支援者に回り、介入の負担の軽減を図る政策をとったが、うまくいかなかった。

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