名誉会長死去で公明党の政権離脱はあるか?

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2023年12月7日
次の国政選挙で自民党が大きく議席を減らせば、往時に比べ集票能力に陰りが出てきたとはいえ公明党・創価学会との関係は今後も無視できないだろう[池田大作名誉会長死去の3日後、創立記念日を迎えて大勢の信者らが行き交う創価学会の施設前=11月18日、東京・信濃町](C)時事

「王仏冥合」(おうぶつみょうごう)という4文字に、公明党と支持母体の本質が凝縮されている。1964年11月の公明党の結党宣言に盛り込まれていた言葉である。この言葉の解釈は、その後の国会審議や政府に対する質問主意書などでも様々に取り上げられ、宗教政党の存在が憲法の政教分離原則に反するか否かが長く議論されてきた。まだ公明党が野党の側にあり、いわゆる社公民(社会党・公明党・民社党)で自民党支配に物申すという55年体制下での話だった。

「公明党は創価学会の国教化が目的」といった批判が繰り返されたが、公明党・創価学会側は「全く誤った解釈だ」「王法というのは世の中の様々な現象を指すものであり、それと仏法の精神を合致させるという人間尊重の理念に過ぎない」と抗弁し続けた。

 しかし、池田大作氏は1960年に創価学会第3代会長に就任する前から、政治関与に凄まじい執着を見せ、そのために必要な数を集める「広宣流布」に邁進し続けた。池田体制を盤石なものにするための方法が、会員集めの「折伏」と上納金集めの「財務」だった。昨今大きな問題となっている旧統一教会の強引な勧誘や寄付金集めにも負けず劣らずの勢い。宗教団体の常として、積極的に勧誘する相手は病苦や貧困などの悩みを抱える庶民が中心になった。創価学会に特徴的だったのは、入信した人たちの中からそれなりの成功者を選び出し、単位となる地域(ユニット)の責任者に据えたことだ。これが全国的な組織づくりを支え、次第に地方議会から政治への関与を深めていった。公明党が国政の場で中道政党として存在感を示すようになった背景に、「王仏冥合」という接着剤のような魔法の言葉があったのは否定のしようもない。

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