“加藤再起”もある宏池会の行方

執筆者:三原圭次2000年12月号

すべてのカギを握るのは古賀新幹事長 自民党の公家集団「宏池会」(加藤派)は事実上分裂し、「ポスト森」の最右翼だった加藤紘一元幹事長は“蟄居”の身となった。森内閣の倒閣宣言をした加藤氏は、あっけない幕切れの後、ホームページに「十字架を背負って再出発する」とのメッセージを残した。しかし、現実は甘くない。 永田町は加藤氏の政治的自殺行為を既成事実として「加藤外し」を公然化し、国民は加藤氏の「最高指導者としての資質」に疑念を持った。第二次森改造内閣で次世代のニューリーダーとされる橋本派の額賀福志郎、江藤・亀井派の平沼赳夫氏らが入閣したのは、その始まりだ。 加藤氏にとっての救いは、反加藤グループのリーダーとなった古賀誠幹事長が「加藤氏は宝」と言っていることだろう。再起の芽はまだ残っているかもしれない。深まる加藤氏の孤立 加藤政局が挫折した翌日の十一月二十一日午後、加藤派総会で復党組の杉山憲夫氏は、加藤氏に「会長は政局に関して極めて音痴である」と噛みついた。自由党の小沢一郎党首に殉じて自民党を離党し辛酸をなめた杉山氏ら復党組は加藤派に九人いる。彼らは今回、加藤幹事長時代に拾われた恩義を返したが、既に政治的には離れている。

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