ア
投稿者:
アメリカの部屋
2014年11月10日01時21分
武内です。
nekosuki さん、コメント(9)をいただき、ありがとうございました。
鄧小平氏は「才能を隠して外に現さない」という意味の「韜光養晦」という概念を持ち出して、中国が国際社会で「パワー」をことさら強調するのを戒めました。「改革・開放」政策の前提となる平和的な国際環境を保つには「全方位外交」を推進することが不可欠という認識の下に、たとえ中国が国力をつけてもそれを誇示するような振る舞いは中国経済の発展にはプラスにならないと考えたわけです。今の中国を見ていると、「米国はすぐに敵う相手ではないので『韜光養晦』を続けるとして、日本は何とかなりそうなので、経済成長で獲得した『パワー』を誇示することで、日本を『格下げ』しよう」としているように見えます。
国際協調・改革派は「持続的な経済発展のためには、どの国に対しても『韜光養晦』が必要」という認識を持っていますが、これに対して対外強硬・保守派は「持続的な経済発展よりも自らの既得権益を守ることのほうが大事」という認識の下に、「パワー」を誇示することが必要と考えています。1989年の天安門事件後に成立した江沢民政権は、民主化要求を起こさせないために、共産党が分配する既得権益を享受する名ばかりの「資本家」を天下りによって作り出し、「資本家の民主化要求」という「悪夢のシナリオ」を食い止めようとしました。同時に、共産党の「権威」を高めるために、「愛国主義教育」を実践しました。
こうした構造的要因ゆえに、既得権益を守ろうとする保守派が対外強硬派と一体となって、とくに日本に対して「パワー」を誇示して、「日本たたき」に走るという構図になるわけです。このようなやり方は、「持続的な経済発展」という目標とは矛盾するので中国の国益を損ねているというのは皆わかっているのですが、日本でもそうですが既得権益を壊していくのは並大抵のことではなく、どうしたらいいのか誰もわからないというのが中国の現状です。
(武内宏樹)
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投稿者:
maruma
2014年09月04日18時21分
碁とチェスのアナロジーは興味深く拝読しました。
ただ、碁とチェスの比較は同次元ではないような気がして少し理解しにくいように思いました。
碁は陣地取りのゲームですが、中国の領土拡張との類似性だけで述べられているのではないとすれば、現代世界では、様々な国家間の影響度をどの程度拡張していくのかという意味で、どの国もどの勢力も碁のアナロジーが使えるように思います。
また、局地戦やある特定の目的についてはチェスのアナロジーかとも思えますので、どの相手に対してもチェス的戦略はありえるのかとも思います。
安倍首相の対中包囲的外交は、ウオルシュ氏的な考え方には沿っているといえるように思えます。
対中覇権戦略としてチェス的手法で考えるとすれば、中国各地の独立運動を戦略的に活発化させて、内部崩壊を狙うと言うような方策が一案かとも思えます。
テロやイスラムとの戦いには、碁の考え方(共存許容)で対処するしかないのかも知れませんが、それでアメリカ国民が納得するかどうかは怪しいかもしれませんね。
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投稿者:
どんくま
2014年09月07日14時56分
碁とチェスの比較はおかしい。
そもそもアメリカこそが1898年より陣地ゲームをおこない、
太平洋を我が物顔に使い出した。
それを中国側が碁のゲームをしているという中国特異論ではのでは、
物事の本質を見失う。
だいたいチェスだととった駒は使えないじゃないか。
いうなら将棋だろうに。
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投稿者:
nekosuki
2014年09月11日12時11分
「領土」に対する考えがアメリカと中国では大きく異なっているように思います。
中国との対比においてアメリカ人の領土観について知りたく思います。
アメリカはアメリカの国益の観点から他国の紛争に介入し、場合によっては一時的に占領・統治するようなことはあっても、正面切ってその国の主権を否定し、アメリカの一部であるというような宣言をするようなことはなかったように思いますが、中国の場合は当該国の主権そのものを認めず(主権を一応認めた上で云々ということではなく)、チベットにしろ、ウイグルにしろ、はたまた最近では、南シナ海や東シナ海におけるように、古来より自国の固有の領土の一部であるというよう主張の下に領土面積を拡大することに固執しているように見えます。
塩野七生さんは、その著書「ローマ人の物語」の中で、オチデント(ローマ帝国をはじめとする西方の国々)は交易を通していかに自国の国益と安全を守るかと考えて、領土拡大そのものへの固執はそれほどではなかったのに対して、ローマ帝国と覇権を争ったオリエント(東方)の国々の関心は領土拡大そのものにあり、東方社会のいわば体質になっていて、領土的な拡大が自国の安全につながると考えて周辺地域への進出を常に意識していたというようなことを述べられていたように思います。
中国の考えは、その”オリエント”の考え方を今に伝える化石のようにも思われました。
中国が現在の国際秩序を否定し、自らが考える新秩序の下で世界に君臨したいと考えているのだとすれば、その考え方の片鱗をうかがい知る上での手立ての一つになるのではないか、と思いました。
また、”中国は「国際秩序」を受け入れない”という発想は、中国共産党の政策意図からくる考えなのか、それとも”中国”という淵源に根差した根深いものなのかについても興味がそそられます。
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投稿者:
アメリカの部屋
2014年09月21日08時23分
武内です。
maruma さん、コメントをいただき、ありがとうございました。
「碁」の戦略と「チェス」の戦略の違いは、陣地取りそのものを目的としているかという点にあるのではないかと思います。これを国際政治の文脈にあてはめると、領土・領海の拡張、自国への服従という意味での影響力の拡大を一義的に目指すのが「碁」の戦略、影響力の拡大をあくまで手段として使って何かほかの目的を達成しようとするのが「チェス」の戦略ということになります。
冷戦期には米国とソ連が覇権を競っていましたが、ソ連が影響力の拡大にひたすら邁進したのに対して、米国は同盟国に安全保障と地域の安定を提供することによって自国の安全保障も担保されるという明確な目標の下にソ連と対峙し、影響力の確保・拡大に腐心していたという違いがありました。
1月1日付の論考(「2014年の『日米中3国関係』をアメリカから見る」http://www.fsight.jp/23428)の中で、「21世紀の中国の台頭は、国際公共財をもたらそうという意思は全くなかった20世紀のロシア(ソ連)の勢力拡大に似ているかもしれない」と指摘しました。中国が「碁」の戦略をとっている限りは、中国が「責任ある大国」として国際政治の安定に寄与することは望み薄と言えそうです。
上記の1月1日付論考の中でも述べましたが、中国が地域の安定と平和という国際公共財をもたらす振る舞いができないのは、中国が内憂に悩まされているからです。その意味で改革の遅れ、民族問題、農民や労働者の抗議行動といった中国国内の政治・社会を不安定にしている要素は、国際政治をも一層不安定にするものと思われます。
(武内宏樹)
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投稿者:
アメリカの部屋
2014年09月22日02時39分
武内です。
どんくまさん、コメントをいただき、ありがとうございました。
maruma さんのコメントへのリスポンスでも述べましたが、「『碁』の戦略と『チェス』の戦略の違いは、陣地取りそのものを目的としているかという点にある」のではないかと思われます。冷戦期には、米国がアジア太平洋地域での影響力を確保しながら地域の同盟国の安全保障を確立したのに対して、ソ連は影響力の拡大と確保そのものを目的にしていました。
21世紀の中国の台頭をどう捉えるかと考えるとき、20世紀に台頭した米国とソ連(ロシア)という2つの国のどちらのタイプになるかと考えるとおもしろいことが見えてきます。1月1日付の論考(「2014年の『日米中3国関係』をアメリカから見る」http://www.fsight.jp/23428)の中で、「(中国は)アジア太平洋での影響力の拡大に熱心であるが、それが地域の安定につながるかどうかには何の責任も感じていないし、何らかの展望をもっているわけでもない。内憂に足を引っぱられる中国であるから、たとえ米国に対抗できるような勢力になったとしても、米国に取って代わって地域の安定と平和という国際公共財をもたらす振る舞いができるかと言うと疑問である。その意思も能力もあるとは思えないのである」と述べました。陣地取りに熱心な国が取った陣地の安定、安全保障に責任をもつという保証はどこにもないのです。
中国がどのような「意思」をもって影響力の拡大を図っているのかという問題が重要になります。国家の「意思」というのは国内政治的な要因で決まってくるところが多分にあるので、8月18日付の論考(「『中国の視点』から考えるTPP の政治経済学」http://www.fsight.jp/28699)で指摘した「中国共産党一党独裁の政治経済学」を注視していく必要があると考えています。
チェスと将棋の違いはご指摘のとおりで、取った駒を自分の駒として使えることで将棋はチェスよりはるかに奥の深いゲームになっています。取った駒を使えないチェスは究極的には起こりえる全ての可能性を書き出すことができる「有限」なゲームです。結果として、コンピューターのスピードが上がるにつれて、人間に対してコンピューターが有利に立っています。このあたり、人間の脳がどのような面でコンピューターよりも優位なのかを考える上でもチェスと将棋を比較することはおもしろいですね。
(武内宏樹)
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投稿者:
topgunkazu
2014年09月22日08時21分
「『碁』の戦略」について少し意見があります。
碁は陣地が広い方が勝ちというルールではありますが、勝つまでの戦略としては決して陣地を広げることだけに目を向けてはなりません。あからさまに陣地を囲い込もうとすると、大概の場合負けます。すなわち、碁における陣地とは、対局相手とのせめぎあいの中で将来を見据えた正しい手を続けた結果として得られるものです。
鶏か卵かみたいな話になりますが、陣地が多い方が勝ちというルールではあるけれども陣地ばかり求めては勝てないということになっています。
ここで、中国が「『碁』の戦略」に基づいて動いているとすると、現状の動きは下手な戦略だと私は思います。このようにあからさまな領土拡大行動はしっぺ返しを受けて然るべきですし、そうするように対戦相手(日米)はチャンスをうかがうべきです。
ただし、碁とは違って、国際関係は黒白はっきり分かれないのが厄介なところですが。
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投稿者:
アメリカの部屋
2014年10月04日09時35分
武内です。
nekosuki さん、コメントをいただき、ありがとうございました。
米国と中国の「領土」に対する考えの違いというのは、米国が「主権」(sovereignty)に基づいて「領土」と「国家」をとらえているのに対して、中国は「宗主権」(suzerainty)に基づいて「領土」と「国家」をとらえているのではないかと思われる点にあります。
これは、中国の王朝が冊封体制とよばれる宗主国と朝貢国の関係を結んでいた歴史に根源があるのかもしれません。もしくは、後発国が覇権国に挑戦するときには「主権」に基づいた国際政治秩序を無視して、「宗主権」を追及するように振舞うのが「覇権」に対する挑戦としては「合理的」なのかもしれません。
おもしろいのは、中国の歴代王朝のなかでも、近隣国との経済的相互依存関係を基礎にした冊封体制を築き上げた王朝は長続きする傾向にあったことです。唐、南宋、明などがこれにあたります。それに対して、元は強大な軍事力を誇りましたが、近隣国や支配下に置いた地域との経済的相互依存関係を築かなかったために、100年ほどで滅びました。このあたりは、ご紹介いただいた塩野七生さんの『ローマ人の物語』で述べられていることにも通じるところがあるように思います。
鄧小平氏は、いたずらに勢力を誇示するのではなく、世界各国との関係を平和的に保ち、中国を世界経済の中に入れることによって、中国も繁栄し、共産党による一党支配も長続きすると考えました。習近平体制が、この鄧小平氏の考えから学ぶことができるかが問われているように思います。
(武内宏樹)
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投稿者:
アメリカの部屋
2014年10月05日07時58分
武内です。
topgunkazu さん、コメントをいただき、ありがとうございました。
私自身は「碁」を打つわけではないので、大変貴重なご意見をいただき感謝いたします。「勝つと思えば負け、負けると思えばなお負ける」という話を思い出しました。
8月23日付の日本経済新聞で、自らはアマチュアでありながらトッププロを育てたこともある菊池康郎氏が「心を磨き、礼節を知る」のが「囲碁の力」の本質と述べていました。ご指摘のような「碁」の奥深さが、「囲碁を通じて精神面を鍛え、心身を磨くことで棋力も向上させよう」という菊池氏の「基本理念」にもつながっているのでしょう。
プロの世界戦では中国や韓国にほとんど歯が立たない「日本の碁」ですが、「盤上の技術については、すでに日本が中韓に学ばねばいけない状況」なのに対して、礼節については「気に入らない負け方をすると、後片付けもそこそこに席を立つ」ような人は日本にはいない、というくだりは、昨今の日本と中韓との摩擦を考えると示唆的に思いました。
ご指摘のように、国際関係は単なる「勝ち負け」ではありません。nekosuki さんのコメントへのリスポンス(コメント7)でも指摘したように、経済の相互依存関係などは「ウィン・ウィン」関係を築くことができるよい例です。
この点は、鄧小平氏は深く理解し、それが「改革・開放」政策を始める原動力となりました。今の中国指導部では、「国際協調・改革派」は「鄧小平路線」の重要性を理解していますが、「対外強硬・保守派」は勢力拡大を誇示するのに熱心なようです。何かと表面的には鄧小平氏に御執心の習近平氏ですが、これから真価が問われるところです。
(武内宏樹)
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投稿者:
nekosuki
2014年10月05日14時56分
武内 様
コメントをいただき、ありがとうございました。
中国の歴代王朝のなかでも、近隣国との経済的相互依存関係を基礎にした冊封体制を築き上げた王朝は長続きする傾向にあったとのご指摘は、興味深く読ませていただきました。
このことが現在の中国とどれだけオーバーラップするのかはよくわかりませんが、「中華民族の偉大な夢」を言い出した今の中国と私たちの国家感覚とでは、想像を絶する隔たりがあるように感じました。
この点、アメリカと日本は、単に同盟関係で結ばれているということだけでなく、大げさな言い方をすれば、共通の文明・価値観に立っていろいろな問題について話し合い、利害調整ができそうな関係にあるのに対して、中国はこれとは全く異質の別物国家との印象が大きくなるばかりです。
これに対してアメリカがどう対峙していこうとしているのか、興味は尽きません。
武内先生には、これからも貴重なご所見をお聞かせくださるようよろしくお願いいたします。
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nekosuki さん、コメント(9)をいただき、ありがとうございました。
鄧小平氏は「才能を隠して外に現さない」という意味の「韜光養晦」という概念を持ち出して、中国が国際社会で「パワー」をことさら強調するのを戒めました。「改革・開放」政策の前提となる平和的な国際環境を保つには「全方位外交」を推進することが不可欠という認識の下に、たとえ中国が国力をつけてもそれを誇示するような振る舞いは中国経済の発展にはプラスにならないと考えたわけです。今の中国を見ていると、「米国はすぐに敵う相手ではないので『韜光養晦』を続けるとして、日本は何とかなりそうなので、経済成長で獲得した『パワー』を誇示することで、日本を『格下げ』しよう」としているように見えます。
国際協調・改革派は「持続的な経済発展のためには、どの国に対しても『韜光養晦』が必要」という認識を持っていますが、これに対して対外強硬・保守派は「持続的な経済発展よりも自らの既得権益を守ることのほうが大事」という認識の下に、「パワー」を誇示することが必要と考えています。1989年の天安門事件後に成立した江沢民政権は、民主化要求を起こさせないために、共産党が分配する既得権益を享受する名ばかりの「資本家」を天下りによって作り出し、「資本家の民主化要求」という「悪夢のシナリオ」を食い止めようとしました。同時に、共産党の「権威」を高めるために、「愛国主義教育」を実践しました。
こうした構造的要因ゆえに、既得権益を守ろうとする保守派が対外強硬派と一体となって、とくに日本に対して「パワー」を誇示して、「日本たたき」に走るという構図になるわけです。このようなやり方は、「持続的な経済発展」という目標とは矛盾するので中国の国益を損ねているというのは皆わかっているのですが、日本でもそうですが既得権益を壊していくのは並大抵のことではなく、どうしたらいいのか誰もわからないというのが中国の現状です。
(武内宏樹)