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投稿者:nekosuki2015年06月09日23時20分
なるほどそういう経過があったのかと、大変参考になりました。
しかし、当の中国が考えている法的論拠はそのようなものなのでしょうか?国際法秩序そのものへの挑戦といった思惑も見え隠れする中国ですから、都合が悪くなると何を言い出すか分かりません。
また、実態法上の解釈、プラス法的手続(この場合は関係国間の協議など)を経てようやく法的な正当性を獲得するというのがまともな考え方かと思いますが、中国の行いは大いに問題あり、と言わざるをえません。
言い争いの前に実力行使を先行させているわけですから、今さら国際法を持ち出す考えはさらさらないと考えておくべきでしょう。
投稿者:マミタン2015年06月05日22時21分
西沙諸島・南沙諸島について時系列で理解すると、フランスが実効支配→中華民国が実効支配→(実効支配の有無は別として)革命後、中華人民共和国が領有を主張という流れであると理解しました。中華人民共和国は中華民国の正統後継国家という立場(我が国を始めとした多くの国は実質的にこの立場かと思いますが)からすると、中国側の主張も荒唐無稽ではないと本記事で認識することができました。昨今、中国や韓国が絡むと、中韓を批判して事足れりとする報道、又はそのような読者層に付和雷同する報道が多い中、本記事のような、対立の背景を紹介する記事が出るのは非常に有意義だと感じます。
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投稿者:957328741-92015年08月24日05時24分
私の意見を述べます。
領海を考える場合に、①中間線論②大陸棚拡張論の二つがあります。
東シナ海において、中国共産党は②を主張していますが、日本は①を主張しています。
しかし、南シナ海においては、①も②も使わずに、歴史論で強引に押し通しています。
なせでしょうか?
私には、相手の国力に応じて、中国共産党が論理を自由に使い分けているように見えます。
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投稿者:imomushi2016年08月21日13時27分
「取って付けた理由」を、恥ずかしげもなく平然と主張するのが中国の中国たるところ。

万里の長城で囲った内部に籠もり、その外側の民族を「東夷南蛮西戎北狄」と蔑視し、数千年の歴史と文化を誇っているが、その実態は一貫した“中華民族の歴史”ではない。
楊海英(*1)著『逆転の大中国史』によれば:

《自己中心史観の中国は古代から世界と相性が悪いだけでなく、今後も国際社会と調和がとれる体制に変身できない》P35と分析しています。

《(略)「中華思想」の狭小な視野からは、世界の人びとをひきつける、魅力ある世界システムの構想はうまれ得ない。AIIBや(略)「21世紀海上シルクロード」も一見、国際的なシステムを志向しているようにみえるが、実際には、中国国内の論理を自他の見境もないままにおしつけているだけなのだ。世界には、中国的価値観をうけいれる精神的な土壌はどこにもない》P33と、手厳しい。

《比較文明論の視点で農耕シナの歴史、とくに宗教思想史をふりかえると、他民族と多宗教の共存を実現した時期と、それに失敗した時期とにおおきくわかれる。(略)鮮卑拓跋系の隋や唐をはじめ、モンゴル人の元、それに満州人の清などのユーラシアの遊牧民が樹立した王朝は宗教的にも寛容で、国際的な大帝国を形成したのに対し、漢や明に代表されるシナ人すなわち「漢民族」が支配した時期には、宗教弾圧や他民族の暴動がたえなかったことである。(略)清がほろんだあとの中華民国、そして現在の中華人民共和国はいずれも中国人すなわち「漢民族」による政権といえよう。そしていまもチベット自治区と新疆ウイグル自治区、それに内モンゴル自治区などを中心に、深刻な民族問題をかかえているのは周知の事実である》P272 これが実態なのでしょう。

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*1:楊海英/1964年、南モンゴル生まれ。2000年に日本に帰化。
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投稿者:o_hiromi87822016年08月25日16時35分
中国は国内にさまざま不安要素があるので、その反動で外洋にうって出ようとしている。
昨今の南沙や尖閣の騒動の要因分析は、概ねこんな見方が主流ですね。
実際のところは、どうなのでしょう。違う切り口で見てみたいです。
たとえば、中国外からではなく、中国内からは外がどのように見えているのか・・・等。
新記事を期待したいです。

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投稿者:takeuyun2016年07月14日00時25分
上のミスチーフ礁の写真、いつごろのですか。この低潮高地も、昨年5月にはもうこんな感じだそうです。

http://www.at-s.com/news/photo/search.html?date=20151018&id=162491&no=1

伊藤俊幸さんの最新記事リンクに付設の写真はフィアリークロス礁。まるで、高度成長時代における瀬戸内海の埋め立て工業地帯みたい。

そういえば、同様の経緯をたどっている竹島も、黒田勝弘さんの形容によると”満身創痍”だそうな。人類の陣取り合戦の割を食った野鳥や珊瑚礁の嘆きが聞こえる。
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投稿者:imomushi2015年06月04日22時02分
以前、台湾で大地震があったとき、日本から台湾に見舞金をおくりました。その時、中国政府は「見舞金はオレのところに持って来い」と言いました。
中国からすれば台湾はオレの領土だから見舞金を受け取るのはオレ様だ、という論理です。厚顔無恥、鉄面皮で首尾一貫しています。

・・・中国からすれば当たり前の主張をしただけで、「回りの弱小国は身の程をわきまえて口をつつしめ!」と言いたいのでしょう。また、アメリカに対しては事前に了解を取って始めたことに、何を今更文句を付ける! と言いたいのではないでしょうか。
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投稿者:Feが趣味2015年06月06日01時56分
昔、台湾は日清戦争後に日本となっていたので、南方開発として日本が東沙列島・南沙列島に漁業・リン鉱石探査や採鉱で経済活動をしていました。1933年フランスは日本が国際連盟を脱退する段階でスプラトリー群島を占領しました。南沙列島最大の島「太平島」では日本人が退去させられました。1939年日本が南沙列島を占拠しました。その後、「太平島」には潜水艦基地が設置されました。中華人民共和国は「太平島」の近くのジョンソン南礁に、最近軍事基地を作っている様なので、地勢的に潜水艦基地でも作って南シナ海の海上交通を支配する野望でもあるのかと勘繰りたくなるところです。戦略核ミサイル搭載潜水艦の展開だけとも思えません。「太平島」は岩礁ではなく立派な島(領土)で、戦後、日華平和条約で日本の南沙諸島放棄を確認後に、順次領有のステップを進めて、立派な飛行場も出来て現在、中華民国が実効支配しているようです。
2006年飛行場建設が環境問題として注目されました。
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投稿者:ueda8823khj2015年06月04日20時56分
なるほど・・・・
南沙諸島は台北政府のもの
台北政府は北京政府の一部
かかるが故に・・・俺のもの

ですか。
ある意味納得ですが、台北政府に対する関与の仕方が問われます。
明確に中国領土の一部ではない!と旗色を鮮明にしない限り、事柄の白黒はっきりつかないのか。
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投稿者:ysugie2016年08月20日13時20分
中国が歴史を引き出す時、それは想像を超えた古い歴史です。南沙諸島についても、13世紀の明の時代に、鄭和という武将がこの地域を支配していた、というのがその領有権の根拠です。そんな古い歴史を引っ張りだしたら、それこそモンゴル帝国はどうなるんだ、アレグザンダーは? オスマンは? という話になってしまいます。現代では通用しない論理です。

こんな論理がなぜまかり通っているかというと、中国が内陸部における巨大帝国であり、中華思想に裏打ちされて、内陸国ならではの拡張指向力が、どうしても外交力学的に発生してしまう国だからです。近代諸国とは論理がまったくすれ違うのもやむを得ません。
投稿者:フォーサイト編集部2016年07月14日14時38分
フォーサイト編集部です。

takeuyunさん、コメントありがとうございます。
上記ミスチーフ礁の航空写真は、2015年5月に撮影されたものです。