b
投稿者:bizenkiyomitsu2015年11月23日16時21分
武内様とマミタン様の議論は何処で行われているのでしょう?
特にマミタン様のコメントは全く見ることが出来ません。

私のPCの設定の問題ではなく、単に公開の場で議論をされていないならば、議論をされる意味も無ければ、資格も無いのでは???

少なくともご自分のご意見に意義があると思われるなら、公開の場で議論されるのが筋でしょう。
投稿者:アメリカの部屋2015年10月04日08時59分
武内です。

imomushi さん、コメントをいただき、ありがとうございました。

「朝日新聞」とか関係ないことを持ち出して煽るのはやめましょう。「戦争支持」とか「売国奴」というレッテルの貼り合いは不寛容の精神の表れです。言ってもいないことを言ったかのように言うのは困り者ですが、議論の最低限のルールとマナーを守っていれば、何を言ってもいいのです。

ところで、ホンダが英語を社内公用語にすると発表して話題になりましたが、「日本の会社で会議を英語にしたら収拾がつかなくなった。誰も『No』と言わない。だって、『No』と言ったら、『Why?』と言われて、説明しなくちゃいけなくなるじゃないか」という冗談がありました(冗談であってほしいですが)。はたして、これは英語だからでしょうか。

どれだけの人が日本語で話すときでも自分の考えを表明し、それを経験的事実と照らし合わせて論理的に説明するということをしているでしょうか。現実は、筋の通った考えではなく、年齢が上の人や地位の高い人の考えが、それがどんなに理屈に合わなくても通るのではないでしょうか。

日本人は、国際会議などで考えを表明して他者を説得することが下手だといわれます。英語ができないせいだと考えられていますが、そうではありません。議論をするときの基本的なルールが身についていないのです。日本の上下関係は、日本人が国際会議などで笑われる原因になっているのです。

(武内宏樹)
 
投稿者:アメリカの部屋2015年11月29日12時41分
武内です。

nekosuki さん、コメントをいただき、ありがとうございました。

裁判・法廷が舞台になる米国映画で私が特に好きなのは、”Philadelphia”、”To Kill a Mockingbird”、”Twelve Angry Men” の3作品です。差別と偏見に対する正義を扱っているという共通点もあります。

相手にわかるように説明するというのは、相撲のように徒手空拳で戦うという意味です。世の中はアンフェアーですが、説明責任を果たそうとするときに人間は平等になれます。

自分の考えを経験的事実に基づいて論理的に説明するという点においては、家柄も性別も階級も人種も国籍も関係ありません。思い込みや感覚に基づいた議論は往々にして差別を正当化して人を傷つけかねません。土俵にマウスピースどころかピストルを持って上がるようなものです。文字通り話になりません。

そして、徒手空拳で戦うというのはまさしく「侍の精神」です。つまり、説明責任と日本文化というのは矛盾するどころかぴったりと合致するものなのです。

ただ、相手にわかるように説明するためには、まず相手の話を聴いて、それを理解しようとして、その上で話をするという手順を踏む必要があるので、根気がいります。相手のことも考えず、思い込みに基づいて自分が言いたいことを好き勝手にしゃべった方がストレスもたまらず、健康にはいいのかもしれませんが、それでは説明責任を果たしたことにはなりません。

昨年5月19日付の論考(「中国への対応が最重要――シーファー元駐日大使に聞く日米関係」)のなかで紹介した「話を聞く人」(listener)と「大声でわめく人」(yeller)という対立軸でいえば、「話を聞く人」であることが、差別や偏見をもたず、説明責任を果たすための必要条件となるわけです。

(武内宏樹) 
投稿者:マミタン2015年08月14日13時43分
二点目について、執筆者の記事の前提は、①日本は現状維持で最も利益を得る、②日本と米国の国益は完全に一致とまで言わないが基本的に同じ、③日本が採用し得る国家戦略は米国へのバンドワゴン戦略、以上3点を前提としていると思われる。確かに、これを前提とすると安保法制は早く国会を通せという話になるのであろう。しかしそもそも①~③について、国会での議論以前に、国会議員も含む日本の知的階層におけるコンセンサスができているのか疑問な状況において、①~③を前提とする安保法制について「必要だから早く国会を通せ」は乱暴な議論であると感じる。上記①~③について、日本国内における議論の深まりもない中、日米同盟深化が今後唯一無二の日本の進路であることを前提とする議論が、特に日本国内の安保法制支持の有識者からなされることに、私は疑問を覚えるところである。

なお、今回の安保法案について、主要な支持勢力は以下の通りだと私は認識している。

政界:神道系宗教組織の影響を受けた議員、及び自民の一部世襲議員
官界:外務省
学界・経済界等:米留又は米国勤務経験がある政治学者・経営者等

政界の方は日本の存在誇示の観点、官界の方は対米外交のやり易さと省益追及の観点から、今回の安保法案を強力に推し進めているように感じる。特に、官界の方は、前の内閣法制局長官やテレビに出演する外交評論家の出身官庁を見れば、自ずとわかるというものである。

学界及び経済界については、米留組等を批判するという趣旨ではなく、戦後日本の各界における米国留学組等の大きな社会的影響力について指摘する趣旨で、記載したところである。

以上、二点ほど一読者として疑問に感じたところを述べさせてもらったが、趣旨としては、執筆者の記事がおかしい云々指摘するものではなく、安保問題に関する門外漢の素朴な疑問を書かせてもらったと理解していただければと思う。
投稿者:アメリカの部屋2015年10月14日07時55分
武内です。

マミタンさん、コメントをいただき、ありがとうございました。

「廃案」も「チョイスセット」のなかにある立派な選択肢の一つですから、当然それを主張するからには説明責任がともないます。安全保障を確保するためには(法制化の是非も含めて)どうしたらいいかという議論なのですから、「廃案」を主張するのであれば、「廃案」によって安全保障が確保されるという論点に説得力をもたせる責任があります。

安倍首相の与党案に対する説明に説得力がなく、政権が説明責任を果たしていないという批判はもっともだと思いますが、だからといって野党側が説明責任を果たさなくていいということではありません。合憲性のみに焦点をあてた「廃案」という主張は、安全保障の確保という問いに対する説明責任を全く果たしていなかったと思います。

「賛成・反対」の二元論に落とし込んで、「チョイスセット」のなかには与党案と「廃案」しかないかのような国会審議のやり方は、議論そのものを壊してしまいます。一口に「反対」といっても、「廃案」にすれば安全保障を確保できると思っている人もいるかもしれませんが、一方で、与党案では安全保障の確保には不十分だから「反対」するという人もいるかもしれません。

野党が安全保障確保という観点から説得力のある法案を提出してきたら、「チョイスセット」のなかに「与党案」と「野党案」が入ることになり、安全保障確保をめぐる説得力勝負の建設的な議論になったことでしょう。ところが、国会が会期制であるがゆえに、野党第一党の民主党が費用対効果に基づいて「廃案」というロー・コストの立ち位置を選んでしまったがゆえに、「チョイスセット」のなかに「与党案」と「廃案」しかなくなってしまい、与党はとにかく「与党案」を早く押し通すという立ち位置しかなくなってしまったわけです。

(武内宏樹)
 
m
投稿者:maruma2015年08月17日12時14分
武内様
解説ありがとうございます。
確かに課題の区別が行われていないように思います。
安倍政権側もそれほど区別して提起していないようにも思え、「通してしまえば・・」みたいなところが垣間見えるところがまたよろしくないのでしょう。
自民党内でも色々な発言をする議員がでてくるところがまた不信感を駆りたてます。
本来はリスクからアプローチしてもいいのかも知れません。
法案を通すためにリスクを述べるというより、リスクからそれに対処すべき方策を考えた方が、議論にはなるとは思います。
ただ、それでも結局のところ、それぞれの思惑でうごくので、一緒かも知れませんが・・
安倍政権は少なくとも安全保障に対する認識は高いのですが、今後政権がかわることを考えると、しっかりした法制化が必要だと感じました。
A
投稿者:AprilHare2015年10月14日18時31分
そもそも、憲法を無視する程の脅威があるんですか?
     
 憲法論を抜きにした純粋な安全保障の面でも、「日本国家抜きの日本国憲法」を想定するほどの脅威があるだとは思いません。
 ロシアや中国などの脅威があると言っても、ソ連などの脅威があった冷戦時代も同様ですし、当時は集団的自衛権の行使がなくても乗り切れました。将来的には中国の脅威が更に増して現在の日米安保条約では抑えきれなくなるかもしれませんが、それを言ったら中国経済の失速・破綻によって脅威が衰える可能性もあります。
 そもそも、h.sasさんのおっしゃる程の脅威があるというコンセンサスは成り立っていません。良くも悪くも、命を捨ててまでルールにこだわらないのが、圧倒的多数の人間というものです。反対派は、憲法を無視する程の脅威は存在していないと思うからこそ、国論を分かつほどの比率を占めているのでしょう。

 ついでに、「憲法改正には時間がかかる」というのは単なる言い訳です。
 よく言われる憲法改正シナリオでは、次の参院選で自公が前回以上に議席を増やした上で民主や維新みたいな「賛成に回り得る」野党議員の協力を得る必要がありますが、それで票を確保できるなら今でも確保できます。まして、現在の憲法では国を守れないと仮定するならば、憲法を無視するよりも憲法を変えるべきです。野党の説得や国民投票すらできないほどの緊急事態ですか?
投稿者:アメリカの部屋2015年08月18日07時54分
武内です。

edo.kobayashi さん、コメントをいただき、ありがとうございました。

ご指摘の点は、「安全保障の重要性については、与野党の合意が比較的得られやすい問題」という意味です。安全保障というのは、国が滅びないようにするのが目的です。何を「確保する」(secure)するかというと「国の存続」(state’s survival)を確保するのです。

「抑止力」と「外交」は、お互い矛盾するものではありません。というのは、国際政治におけるパワーというのは「能力」(capability)と「意思」(intention)の掛け合わせだからです。ベクトルを想像してみてください。矢印の長さが能力で方向が意思です。

外交は国家の意思を他国に伝えるのに役に立ちます。ところが、国際政治においては相手を騙すインセンティブは常に存在するので、お互い疑心暗鬼になりやすく、国家間で信頼関係を築くのがとても難しくなります。

いくら「防衛」(defense)のためだと言っても、他国は「攻撃」(offense)のためだと疑うかもしれません。第2次世界大戦が終わったときは、日本の意思が信用できないので能力をもたせないことが米国の主眼でした。

この70年の間に、日本の意思に対する信頼は格段に向上しました。米国にとってはもちろんですが、中国や韓国にとっても、日本の武力行使の目的に対する信頼のレベルは180度変わったといってもいいぐらいです。

周辺事態の整備とPKO 協力は安保法制に含まれています。というか、「包括的」な法制化を目指しているのですから、含まれていなければならない問題です。

もし現行の法案で十分に包括的ではないというのであれば、修正を与党に迫るべきで、どう修正すれば包括的な安保法制を議論するのが国会審議の本来のあり方なのです。

(武内宏樹) 
投稿者:アメリカの部屋2016年07月31日08時16分
武内です。

前回のコメント(7月26日付)で、「安保法制成立により、どのようなメカニズムで、現在の日本の安全保障体制の問題点が解決できるのか」ではなく、「現在の日本の安全保障体制の問題点を解決するのにはどのような安保法制が望ましいか」という設問にするのが筋だと述べました。

AprilHare さんは10月28日付のコメントのなかで、「集団的自衛権の違憲性」について論じていますが、この問題も「安全保障を確保するためにどのような法制が望ましいか」を検討した上で、「そのような法制のなかで集団的自衛権が必要か」を考え、「その法制で規定されている集団的自衛権の違憲性」を問うというのがあるべき議論の流れです。

日本政府はどのように憲法をどのように守ってきたのでしょうか。9月2日付の論考(「日本は右傾化しているのか」)でも述べたように、日本は米国に頼れない部分を自国の再軍備で補うことで安全保障を確保してきたわけで、実際の安保政策において憲法9条が規定する「平和主義」を字義通り実行したことはありませんでした。

だからといって平和憲法をないがしろにしてきたわけではなく、「安全保障を確保するための最低限の軍事力をもつ」という政策を取ることが「合憲」の基準だったのです。この解釈は1951年10月の吉田首相の答弁に端を発していて、以来変わらぬ日本の安全保障政策の立場です。(佐瀬昌盛氏の8月11日付論考「『軍人嫌い』吉田茂が『国民の自衛隊』に注いだ狡知と愛情」参照)

つまり、「安保法制で規定されている集団的自衛権の合憲性」は、集団的自衛権が「安全保障を確保するための最低限の軍事力」に必要かどうかに依存するわけです。私が「安全保障を確保するためにどのような法制が望ましいか」を議論せずに「集団的自衛権の違憲性」を議論するのは無意味だと言うのはこのためです。

(武内宏樹) 
n
投稿者:naturalist2015年08月21日13時40分
8月21日付の竹内氏のマタミン氏への説明は解りやすく納得のゆくものでした。憲法とは何であるか、法律とは何であるか、論点は何であるか等をわきまえて論議を進めるべきと思いました。ありがとうございました。
n
投稿者:naturalist2015年08月21日13時44分
先のコメント中の武内様を竹内と誤ってしまいました。大変失礼いたしました。
A
投稿者:AprilHare2015年12月09日16時42分
>武内先生
 先日のマミタンさんへのコメントで「不作為に対する説明責任」の不在について述べられていましたが、そもそも現在の日米安保で手に負えない脅威があるかどうかが意見の相違ではないかと思います。ないという前提なら、そもそも不作為で悪い理由もありません。そして、何かが無いことの証明は「悪魔の証明」と言われるように極めて困難なので、まずは有ることの証明が先に問われるべきだと思います。

 また、今回の議論では、「自分が正しいと思う理屈のためならルールを破ってもいい」という独善が非常に大きく目立ちました。議論者レベルでの暴走であれば両サイドにもあったでしょうが、自民党の合憲論は暴走どころか主張の根幹がルール無視(※)でした。こうした独善的な姿勢では、説得できる相手も説得できません。
※有名な砂川判決傍論そのものが、「国防のためなら何をやっても憲法に違反しない」という代物です。現実とルールが両立不可能で前者を選ぶなら、ルールを変えるべき。最大限好意的に評価しても、ルールを変えるための改憲発議権も現実と折り合いをつけるための行政権もない最高裁の敗北宣言としか言えません。

 自民党は国会で圧倒的多数で、「安全保障というのは与野党の合意が比較的得られやすい問題」のはずです。にもかかわらず、議論は迷走して与野党の合意は得られませんでした。
 今回の法制が正しいと思っている人にこそ、「正しいはず」の法制がなぜ野党を説得できなかったのか、考えていただければと思います。
A
投稿者:AprilHare2015年12月10日03時01分
ルール軽視論についての追記です
     
 ルール軽視論が合意形成に及ぼす弊害は他にもあります。
 政権は支持していなくても政策には内心で賛成している場合、本来ならば「政権の失敗や暴走をコントロールするという前提で、政策は実行する」という妥協案があります。また、「限度を超えないという前提であれば政権や政策を支持する」という場合もあるでしょう。
 ところが、その政権が「必要な政策のためならルールは無視してよい」と主張するならば、コントロールのためのルールにも従いたくないという意味にもなります。政権に対するコントロールが効かないなら、あとは政権を信じるか否かの問題になります。そこに残るのは、「信者vsそれ以外」や「信者vs別の信者」の不毛な議論です。実際、反対派の側から意見を述べつつも「○○みたいな常識的なことがなぜ伝わらないか」と思うことが時々ありましたし、賛成派の方が逆に「□□みたいな常識的な~」な意見を述べたケースも何度か目にしました。

 それに比べれば、安全保障上の議論は、また収拾が簡単な方ではないかと思います。
 例えば中国の脅威について、私は「将来の可能性」レベルだと思っていますし、武内先生は慎重派な方のように見受けられますし、はたまた明日にでも侵略してくるかのように思っている方もいるようです。それでも、議論上の暗黙のルールを尊重するならば、認識が一致しない場合でも相違を確認して結論を保留することは可能なはずです。
投稿者:アメリカの部屋2015年08月30日08時11分
武内です。

sorciere M さん、コメントをいただき、ありがとうございました。

「経済を超えたTPP の意義」というのは戦略的な意義と安全保障上の意義のことです。詳しくは、6月3日付の論考「安倍訪米後の『新時代』日米関係(下)『経済を超える』TPP の意義」をご覧ください。

TPP の戦略的意義というのは、中国が「『法の支配』(rule of law)に基づいた米国主導の国際秩序」に挑戦しようとしているときに、TPP という国際経済のルール作りに米国が失敗した場合、中国の挑戦に米国はどう立ち向かうのかという問題です。TPP の安全保障上の意義というのは、TPP を締結することが中国国内政治における国際協調・改革派を支援することになり、結果として中国の国際政治での行動を協調的なものにすることができるというものです。

TPP の安全保障上の意義については、昨年8月18日付の論考「『中国の視点』から考えるTPP の政治経済学」で、中国の国内政治を踏まえて議論しています。そちらもご覧ください。『フォーサイト』は検索機能も充実していて、アーカイブからこれまでの論考を簡単に検索できるので、これまで書かれた論考にも立ち返って読み比べてみてください。私も、充実した検索機能を生かすべく、なるべく関連する記事を、筆者のものだけでなくほかの執筆者のものも含めて、文中で参照するようにしています。

新しい記事を読んだときに、それまで書かれた記事と読み比べることは、問題を重層的に理解するための手助けとなります。ひいては、「賛成・反対」(whether)という皮相な議論に終始することなく、How? やWhy? を考えて、複雑な問題の本質を理解するのにも役立つはずです。

せっかく『フォーサイト』を購読しているのですから、アーカイブも積極的にご活用ください。

(武内宏樹) 
投稿者:アメリカの部屋2016年04月24日07時56分
武内です。

マミタンさん、コメント(10月25日付)をいただき、ありがとうございました。

私は一貫して「安全保障を確保するためにはどうすべきか」という視点から議論しているのであって、後から「安全保障の重要性」を持ち出してきたという事実はありません。そんなことはきちんと読めばわかるはずです。

米国では今トランプ氏が「礼儀」(civility)への挑戦をしています。思ったこと(時には思っていないことも)をすぐに口に出して、支持者から喝采を浴びています。

議論をする上での礼儀というのは、まず人の話を聴いて、それを理解しようとして、その上で発言するということです。相手のことも考えず、自分のペースで好き勝手に発言したほうがストレスを発散できて健康にはいいのかもしれませんが、発言する人が議論をする上での最低限のルールとマナーを守らないと議論そのものが壊れてしまい、行き着く先はトランプ氏と支持者に見られる排外主義(xenophobia)と人種差別(racism)です。

ところで、ご紹介の手術をめぐる会話では、手術をするという決定に対する説明責任はあっても、手術をしないという決定に対する説明責任はないようですね。これは、どう安保法制をめぐる議論で、「廃案」という「何もしない」選択に対して説明責任が求められなかった、つまり不作為に対する説明責任が求められなかったという構図に似ています。(11月26日付コメント参照)

不作為に対する説明責任不在が深刻な問題を引き起こしている典型例は日本の財政問題です。本来はゼロベースで予算を見直して、前年同様の支出の必要性がある場合に同様の支出を行うというのが筋ですが、実際には前年と同じことをしている限り説明責任が存在しないゆえに、深刻な財政赤字の問題を引き起こすことになりました。

(武内宏樹)
投稿者:アメリカの部屋2016年08月21日08時25分
武内です。

マミタンさんはコメント(11月1日付)のなかで、集団的自衛権と憲法の関係について議論しています。この問題は、7月31日付のコメントで述べたように、「安全保障を確保するためにはどのような法制が望ましいか」を検討し、「集団的自衛権が安全保障の確保に必要か」を踏まえた上で、集団的自衛権と憲法の関係を論じるというのがあるべき議論の流れです。

1951年10月の吉田首相の答弁以来、「安全保障を確保するための最低限の軍事力をもつ」というのが「合憲」の基準だったわけですから、集団的自衛権が安全保障を確保するのに必要ならば、「合憲」ということになるわけです。極端な例をいえば、自衛隊がなくても日本の安全保障が確保できるのであれば自衛隊は「違憲」ということになりますし、日米安保条約がなくても安全保障を確保できるのであれば日米安保条約も「違憲」ということになります。

おもしろいことに、当時吉田首相に「軍備放棄反対」を執拗に迫ったのは共産党の野坂参三氏であり、それに対して吉田首相は「自衛権」すなわち「安全保障の確保」にこだわって「再軍備」に反対したのです。(佐瀬昌守「『軍人嫌い』吉田茂が『国民の自衛隊』に注いだ狡知と愛情」2015年8月11日付参照)

もちろん現実には、自衛隊も日米安保条約も安全保障の確保のためには必要なので、自衛隊も日米安保条約も合憲というのが日本の安全保障政策を規定してきた憲法解釈です。ですから、同様に集団的自衛権も安全保障の確保に必要であれば合憲というわけです。今般の安保法制の制定、それに含まれる集団的自衛権行使の容認というのは、過去の安全保障政策に関する憲法解釈の延長線上にあるのです。

(武内宏樹)
A
投稿者:AprilHare2015年10月28日10時02分
そもそも、国会における議論迷走は誰の責任か?
     
 そもそも国会での議論が迷走しているのは政府称:平和安全法制を提案した政府・与党に大きな責任があります。
 例えば、当初の理由として挙げられた「イランによるホルムズ湾封鎖」は参院での首相答弁で現実問題としての想定が否定されました。「米艦への攻撃」も、米軍の単独行動が否定されています(艦隊での集団行動であれば日本が加勢する必要は少なくなります)。
 ホルムズ湾対策や米艦防護が、政府称:平和安全法制の目的(の一部)であるならば、その目的は部分的にでも否定されたことになります。目的ではないとしたら、無関係のネタで議論を混乱させたことになります。

首相、ホルムズ海峡での機雷掃海「想定せず」 (日経)
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS14H6S_U5A910C1PP8000/

首相「米艦単独で行動せず」 集団的自衛権 防護根拠揺らぐ(2015年8月5日朝刊 東京新聞、ただしウェブでは表示期限切れ)
http://blog.livedoor.jp/woodgate1313-sakaiappeal/archives/45006642.html

 また、与党推薦の参考人が今回の法案を違憲だと述べたのも、議論としては致命的です。人選ミスだとかいうのは所詮は身内の論理で、外部への弁明にはなりません。想定外の言質を取られてしまったとしても、自業自得です。議論の証拠としては「与党も野党も、賛成派も反対派も、違憲という意見で一致した」として扱わざるを得ません。

 更に言うならば、「国会の迷走は、国会を握る多数派の責任」です。
 賛成派の方々にとっては無能な味方に足を引っ張られているようなものだと思いますが、批判は敵(野党)ではなく無能な味方(与党)にぶつけていただければと思います。
t
投稿者:takeuyun2016年04月25日01時00分
2016年4月17日付けアメリカの部屋 → Aprilhare への返答、「責任ある大国」として振る舞うことができない「弱い中国」、という”逆説”について考えています。

中国については、「責任ある大国」として振る舞うことができない「弱い中国」が脅威なのだという点を折に触れて述べてきました。他国を説得して「ウィン・ウィン」の関係を構築し、世界の問題を解決していく意志と能力が「内憂に悩まされる中国」にあるでしょうか。

1.南シナ海の軍事拠点化を着々と進めているのは、「責任ある大国」として振る舞うことができない「弱い中国」の現れ、と見ていいですか。
2.答えがイエスだとすると、なぜ。素人目には、自分の強さを見せつけんがため、と見えます。中国における、どのような「弱さ」が、なぜ中国をして南シナ海軍事拠点化に至らしめるのか。かの国の場合、このあたりの政治決定がブラックボックスに包まれていて、小生にはわかりにくい。

まさか、トランプ快進撃(数々の中国へのさや当て)への過剰反応とは思いたくないのですが…。
A
投稿者:AprilHare2015年10月28日13時30分
>マミタンさん
 横から失礼します。

>そこで、今般成立した安保法制に賛成の方々に伺いたいのは
>①現在の日本の安全保障体制の問題点は何で、
>②安全保障法制成立により、どのようなメカニズムで、当該問題点が解決できるのか
>というところです。

 同感です。反対派の一人として、特に②について私も伺いたいところです。
 ①については、現状のままでよいのかという危機感はわからなくもありません。「中国がソ連を超える脅威となり、現在の体制では手に負えなくなる」「アメリカの世界戦略の変化により、日本が必要とされなくなる」可能性を長期的には否定できません。
 ですが②に対しては、問題に対するアプローチを誤っているのではと思っています。例えば日米安保条約の不備や寿命を問題視するのであれば、本法案ではなく条約の改定に取り組むべきです。片務性を解消してアメリカの日本防衛意欲を補うならば、アメリカの戦争で血を流す覚悟と準備が必要です。「アメリカの戦争に巻き込まれる危険はない」という主張が正しいのであれば、問題を解決しません。
投稿者:アメリカの部屋2017年01月02日10時09分
武内です。

マミタンさんはコメント(2015年11月1日付)のなかで、「集団的自衛権」を認めると日本の外交・防衛政策が柔軟性を失うと述べていますが、これはおかしな話です。集団的自衛権行使の「容認」というのは、行使の「義務」ではないわけですから、日本が判断するときの選択肢が増えて、日本の外交・防衛政策の柔軟性が増したと考えるのが道理でしょう。

8月14日付のコメントで、「日米が共同で任務にあたっていて米軍が攻撃されたときに自衛隊が米軍を防衛しなかったら、日米間の信頼関係が損なわれて、日本の安全保障が大きく毀損される」と述べましたが、日本の外交・防衛政策が柔軟性を失うのは、同盟に対する日米間の信頼関係が損なわれたときです。また、今般の米国でのトランプ政権誕生のように、米国の日本防衛に対するコミットメントが揺らいだときも、米国の関与がアテにならないとなると、自国の安全保障が確保されるまで軍事力を拡大するという選択肢しかなくなってしまいますから、日本の外交・防衛政策の柔軟性は失われます。

マミタンさんは「日米同盟が我が国の外交・防衛の基盤とはいえ、あまりにも深くコミットすることへの問題意識というか、疑問を持っている」と述べていますが、コミットメントの深さが問題になるのは、米国側であって日本側ではありません。日米同盟は日本の安全保障の基盤であっても、米国の安全保障の基盤ではないのですから、どの程度「コミットする」か決めるのは米国側であって日本側ではないのです。

日米同盟において日本は「お客さん」ではないのですから、日本の安全保障を確保するにはどうしたらいいかという「当事者意識」を持つことが必要です。「日本の安全保障」という車の運転席に座っているのは日本であって、米国が運転する車の助手席に座っているわけではないのです。

(武内宏樹) 
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