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投稿者:imomushi2017年06月13日21時48分
読者コメントの文中に《無駄だった戦で亡くなられた多くの兵隊さんへ・・・》との一節があります。

この「無駄だった戦」という文言を、そのまま解釈すると太平洋戦争(大東亜戦争)は“無駄”だった。無駄なことで命を落とした。と言うことになります。

当時、応召で戦地に赴いた兵士は、どのような気持ちであったか。内心は複雑であったでしょうが、後世の者から「無駄な戦」でしたね、と言われ、「はい、その通りです」と答えるほど単純なものではなかったと思います。

戦争で負傷し、現地で終戦を迎え、帰国することも出来ず、その人が、負傷の悪化で命が尽きる間際に何を叫んだか。それを見ています。また、自分の父もルソン島で戦死しました。

激戦で散華した兵士。傷病兵として苦難の果てに命を落とした兵士。帰国したとは言え、ある者は足を失い、ある者は手を失い、失明し、白衣の傷痍軍人として命長らえ、やがて一人消え、二人消え、・・いつの間にか新宿駅や山手線内で傷痍軍人を見かけなくなった。もの悲しいアコーディオンやハーモニカの奏でる戦歌が聞こえるようだ。

これら兵士に向けて「無駄だった戦」という評価は忍びない。

もちろん、コメントの全文を読めば、そのようなことを言いたいのでないことはよくわかります。しかし、字面(じづら)だけで見ると、戦前を全否定し、平和主義を自任する勢力が好む言葉使い“無駄だった戦”に、そっくりなってしまうのが気になるところです。

・・・と、書いておきながら、インパール作戦は、たしかに無謀で悲惨な結果をもたらしたことですから、忘れてはならないことと思います。できらば、講談・浪花節などの形態で語り継がれてもらいたいものです(すでにあるのでしょうか、知りませんが)。
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投稿者:ygn482017年06月15日12時59分
ミャンマーが「功を焦って失敗」しないようにとの著者のご懸念、歴史的視野に立っての有益な助言だと思います。同時に日本の対ミャンマー援助も長期的に取り組んでいくという意気込みが文章から感じられました。日本で明治新政府の発足から憲法制定まで約20年かかり、藩閥による超然主義と伊藤博文による調整を経て、初の政党内閣である大隈内閣の発足までさらに約10年を要しました。ミャンマーでも、1988年のビルマ式社会主義体制から市場経済への転換から新憲法制定まで約20年、軍による権威主義的政治運営とテイン・セインによる規制緩和を経て、スーチー政権発足まで10年近くかかりました。その後の大正デモクラシーまでの紆余曲折を思えば、ミャンマーの前途も決して平たんな道ではないことは、容易に予想できます。相手国の歴史や政治を踏まえて長期的視野に立った援助ができるよう、JICAの組織・人材の一層の充実を期待しています。

また、資金や技術といったハードパワーがピークを過ぎたと思われる日本として、今後ソフトパワーを援助にどう活かしていくかが課題だと思います。東日本大震災の被災者が見せた気高い態度、民度の高さといった日本の強みをいかに政策に転換していくか。そういった戦略構築の役割もJICAに期待します。
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投稿者:HIRO2017年06月13日17時12分
先の戦争で、大空襲の被害下の東京でも、国鉄が動いていたと聞いています。今元気なJRのOBであれば、若い人よりもミヤンマー鉄道の近代化に大きな力を発揮できると思います。言葉は通じなくても、技術は共通ですので、昔の経験を伝え各種の技術の向上にお役に立てれるのではないでしょうか。電話が有線から無線の携帯に変わったような、イノベーションは、鉄道においては不可能ですので、戦後70年の日本の鉄道技術の歩みを、如何に早く習得して貰えるかでしょう。旧主国イギリスのそれは、日立が担っています。アンダマン海を目指して、中国が浸透してきています。ODAは、モノから技術と経験に移って行く事が、無駄だった戦で亡くなられた多くの兵隊さんへの供養になるとも思います。
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投稿者:kinoppy272017年06月14日13時00分
「急ぎすぎ」を戒め、「功を焦る」事例を紹介した文章が、
印象的でした。発展途上国支援の役割を果たそうとする
お役人諸君にも一読願いたいし、「ミャンマー詣で」に
汗を流せばすぐに「成果」があるのではと期待する
民間企業の幹部諸兄にも読んでほしい文章だなあと感じました。