投稿者:渡邊啓貴2017年08月03日13時47分
「「私は日本のマクロン」小池都知事と「本家マクロン」の違い」の筆者です。
ご意見はいずれももっともなものでありがたいと思いました。
わたしは国際関係論がもともとの専門ですから、日本にも「グローバル・プレイヤー」という立場をもっと意識してほしいと日ごろから言っているつもりです。「パートナー」ではなく。
こうした考え方は日本人的志向としてはあまりなじまない思いますが、あえて強調したいと思います。周囲の様子を見て、そつのないお付き合いをするという意味ではありません。もちろんそうした関係を全く否定するわけではありませんが、参加者の一人として責任をもって本音で主張する気持ちがなければ社会は変わらないと思います。ビジョンがない、とか、戦略が必要だとか、口ではよく言われますが、志しに即した未来像を持ち、それを正面から論じる気概が必要です。しかしそうしにくいのが、私たちの文化です。それは奥ゆかしさのような日本の文化的美徳と一緒にしてはいけないと思います。理想論ですが、動かす意識だと思います。それを支える社会的コンセンサスです。
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投稿者:mitsu82017年07月27日12時08分
小池百合子は目指すものが権力
マクロンは目指すものが新しい政治

マクロンは政治の素人
小池百合子は政界の渡り鳥

だから、マクロンと小池百合子は違う。
マクロンとマカロンほども近くない。
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投稿者:nekosuki2017年07月28日12時08分
mitsu8さん、imomushiさんのコメントは含蓄がありますね。お二人のコメントに引き寄せられて、渡邊先生の本文に目が移った次第です。
渡邊先生の示唆に富んだ言葉の中から印象に残った言葉を次に紹介します。
「政権交代と混乱は別」
「なる政治ではなく、する政治」
「動かす勇気」
わが国の政治家たちに贈呈したい言葉です。

わが国は明治維新以降、西洋に追いつけと文化や科学技術の導入に努めてきましたが、その魂については二の次だったようです。和魂洋才というのが今日の日本の基礎となっていると言えますが、そのひずみは今日まだ残っており、選挙、議会制度など西欧と同じような民主主義の政体を作り上げてはみたものの、肝心の制度を動かす国民や政治家の魂はいまいちで、そうしたことに改めて渡邊先生は注意を喚起されたように感じております。
その卑近な例として、小池知事は新たな党を立ち上げるにあたって、都民ファーストという命名をしましたが、トランプ大統領の勢いにあやかって言葉だけもじるという薄っぺらい作戦に出ました。狙いは的中したようですが、アメリカファーストと同じような意味でファーストを使うなら、閉鎖性、保護主義丸出しで新しいものを生み出すニュアンスは伴いません。このように言葉の人気だけを追うのでは新しいものは生まれてくるはずもないのです。人気急上昇の小池知事がうつろいやすい民意の前で急に人気喪失という事態見舞われないことを祈るばかりです。
都政と国政の混同なども底の浅さを感じさせる一面です。マスコミ、国民の側にも言えることですが、”本物”への洞察が伴わなければ当面の人気はすぐに霧消してしまうことでしょう。

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投稿者:mitsu82017年08月16日21時14分
渡邊様からのコメントがあり驚きとうれしさがあります。

政治を動かす意識。

小池百合子が本旨ではないこと分かっておりますが、
昨今の先進国の民主主義国家の政治情勢を見ておりますと
政治を動かす意識は、どの国の国民にもあると思っています。
日本もグローバルも関係なく同じ傾向の政治情勢が見受けられることに
依拠しての思いです。
だからこそ、小池百合子率いる都民ファーストが躍進し、
マクロンが率いる共和国前進が議会での過半数を制したのでしょう。

ただ、この国民の政治を動かす意識は、既存の車を下取りに出して
新しい車を買う意識と大きな違いはないのではないでしょうか。

政治(政治家)が商品と同じように消費されているのではないでしょうか。
消費社会が、政治の世界にも入り込んだんでしょうね。
それを都民目線、国民世論と呼称し、己の勢力拡大のために利用するのは、
その先に実現したい国民福祉があるのならば、マキャベリ先生に合格点がもらえるのでしょう。

何が言いたいかと申しますと、
動かす意識はもうあるのです。それに動かせたという実感もあるのです。
しかし、その動かしてきた結果は、国民の方向が政治(政治家)を消費する方向へ向かっている
と思うのです。それで本当に国民の福祉は実現するのでしょうか。

参加者の一人として責任をもって本音で主張し、志しに即した未来像を持ち、それを正面から論じる気概で、動かす意識を持つのは、政治家であり、その指導者が、国民目線が誤らないよう指導する社会的コンセンサスが必要だと思います。それが議会政治です。
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投稿者:imomushi2017年07月27日22時46分
すでに存在する秩序を破壊する能力なら、誰にも負けない小池百合子氏であるが、存在しない所に新たな価値を創造する能力は有りや? と問われれば、首をかしげる人も多いのではないか。当人も、そのことを知っているからこそ、「マクロン頼み」が、つい顔をのぞかせたのではないか。

破壊する言葉と、創造する言葉は違う。エネルギーも持続性も統率力も違う。最も違うのは「国家観」の有無でしょう。破壊なら国家観無しでできる。しかし、政治の場に於ける創造を国家観なしで行うと、将来を危うくする。

マクロン氏には、おそらくヨーロッパ文明から引き継いだ「修辞学」が身に付いているのではないでしょうか。修辞学は単なるコトバの芸ではなく、精神から発するものが無ければ、人々の心を引きつける修辞にならない。つまり国民の心に共鳴する国家観の有無がポイント。

小池百合子氏が、小さな価値を創造できたとして、国家レベルの大きな価値を創造する能力があるか?