「ルビコン川を渡ってしまった」。ホワイトハウスの危機管理室(シチュエーション・ルーム)の会議テーブルに、こなごなになった遠心分離器の破片が置かれた時を思い出しながら、ヘイデン元CIA長官は、そう語った。コンピューターウイルスを使って、遠心分離器の音速に近い回転スピードを操作し、破壊するのに、はじめて成功した。G・W・ブッシュ政権の末期のことだ。分離器は2003年に、核兵器開発を断念したリビアの指導者カダフィ大佐(当時)が、米政府に引き渡したものだった。核技術の闇市場をつくったパキスタンのカーン博士から買ったP1と呼ばれる型の分離器だ。イランも同じものを使ってウラン濃縮を行なっていた。

情報流出から「物理的破壊」へ

 米紙「ニューヨーク・タイムズ」紙は6月1日、ブッシュ政権からオバマ政権に引き継がれて本格化した対イラン・サイバー攻撃の実態を、1年半に及ぶ米政府高官らへの取材に基づく調査報道で暴露した。サイバー攻撃作戦は「オリンピック・ゲームズ」と名付けられていた。 【Obama Order Sped Up Wave of Cyberattacks Against Iran, The New York Times, June 1】
 相手のコンピューターシステムに侵入して情報を盗み出すのが、それまでのサイバー攻撃だった。米政府がイスラエルの特殊技術作戦を担う「8200部隊」の協力を得て開発したウイルスは、イラン中部ナタンツにある核開発施設に侵入して遠心分離器の制御システムを狂わせ、破壊する。物理的な破壊を行なうという意味で、まさに「ルビコン川を渡った」。いずれは都市の電力供給や上水道システムなどを破壊し、市民生活に大きな被害を与える本格的サイバー戦争へとつながる、初の攻撃だ。ブッシュ政権はこの作戦をオバマ政権に引き継いだ。オバマ政権下で、ナタンツの5千台のウラン濃縮用遠心分離器のうち1千台を破壊した。
 しかし、本来ナタンツの施設に潜伏したままのはずだったウイルスがネット上に流出し、新型ウイルスの目的が専門技術者らによって分析され、「スタックスネット」と名付けられた。メディアに報じられ、アメリカとイスラエルの関与が疑われた。本欄も2010年10月にこの事件への注意を促し(「世界は中国をどう見ているか」2010年10月22日)、昨年11月には新しい戦争である「サイバー戦争」をめぐる論議を特集した(「深刻化する『中国のサイバー攻撃』とその先にある『新しい戦争』2011年11月18日)。

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